三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

龐淯

禁を破って刺史を弔い、刀を懐に仇の門をくぐった義士

龐淯は、父の仇を討った烈女・趙娥の息子です。武威太守の張猛が刺史の邯鄲商を殺し「弔う者は死罪」と布告すると、官を捨てて昼夜走り、遺体の前で号泣し、懐に匕首をのんで張猛の屋敷に乗り込みました。張猛はその義に打たれて殺しませんでした。のちにも、囲まれた城を夜に抜け出して救援を求め、渋る郡の前で剣に伏して死のうとしています。陳寿は「剣に伏すことを憚らず、誠は隣国を感ぜしむ」と評しました。経歴は『三国志』魏書「龐淯伝」をもとにしています。

酒泉表氏の人で、字は子異。母は父の仇を討った趙娥。涼州従事として破羌県長を代行していたとき、武威太守の張猛が刺史の邯鄲商を殺し、弔う者は死罪と布告した。龐淯は官を捨てて昼夜走り、遺体の前で号泣し、匕首を懐に張猛の門をくぐった。張猛は「至忠の人を殺せば、州の義士を誰が従えよう」と言って殺さなかった。のち太守・徐揖の主簿となり、黄昂の反乱で城が囲まれると妻子を置いて夜に城を抜け、張掖・敦煌に救援を求めた。二郡が渋ると剣に伏して死のうとし、二郡はその義に感じて兵を出した。徐揖は城とともに死に、龐淯はその遺体を郷里に送って三年喪に服した。曹操に辟され、文帝のとき駙馬都尉・西海太守、関内侯。

THE WAY OF LIFE

龐淯の生き方

母が父の仇を討ったのは、龐淯が幼いころのこと。その息子は、誰かの死を見過ごさない人に育ちました。刺史を弔う者は死罪、という布告を聞いて、彼が最初にしたのは、官を捨てて走ることでした。

二郡が救援を渋ったとき、龐淯は説得を重ねるのではなく、剣に伏そうとした。それで兵が動いた。言葉より先に、自分の命を差し出す人です。

持ち味と、その裏側

義と見れば、立場も命も惜しまずに動く胆力。それが人を動かし、敵さえ刃を収めさせた。一方で、妻子を置いて城を出るような激しさは、周りの人には重かったかもしれない。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生没年不詳(後漢末〜魏)

涼州酒泉郡表氏県の人。字は子異。父は龐子夏、母は趙娥。

  1. 母は、父の仇・李寿を白昼に討って自首した趙娥。州郡はその行いをよしとして罪に問わなかった。
  2. 涼州従事として破羌県長を代行していたとき、武威太守の張猛が反乱を起こし、雍州刺史の邯鄲商を殺した。張猛は「邯鄲商の喪に臨む者は、死罪にして赦さない」と布告した。
  3. 龐淯はこれを聞くと官を捨て、昼夜走って武威に着き、邯鄲商の遺体の前で号泣した。それから張猛の門に行き、匕首を懐にのんで、面会のついでに張猛を殺そうとした。張猛の兵が龐淯を縛ろうとすると、張猛は嘆いて言った。「私は刺史を殺した罪を負っている。この人は至忠で名が通っている。これをまた殺せば、どうやってこの州の義を行う士を従えられよう」。そして喪に服させ、放した。龐淯はこれより忠烈の名で知られた(龐淯伝、裴注引『魏略』)。
  4. 太守の徐揖に請われて主簿となった。郡の黄昂が反乱を起こして城を囲むと、龐淯は妻子を置いて夜に城壁を越え、張掖・敦煌の二郡に急を告げた。二郡は疑って兵を出そうとしなかった。龐淯が剣に伏して死のうとすると、二郡はその義に感じて兵を起こした。
  5. 援軍が着く前に城は落ち、徐揖は死んだ。龐淯は徐揖の遺体を収めて郷里に送り、三年喪に服してから戻った。曹操はこれを聞いて掾属に辟した。
  6. 文帝が即位すると駙馬都尉となり、西海太守に遷り、関内侯の爵を賜った。のち中散大夫に召され、没した。子の龐曾が跡を継いだ。
  7. 酒泉郡は、母の趙娥と龐淯の母子の肖像を役所の壁に描き、銘を刻んで称えたと『魏略』は伝える。陳寿は「龐淯は剣に伏すことを憚らず、誠は隣国を感ぜしむ」と評した。

主な出典
『三国志』魏書「龐淯伝」(二李臧文呂許典二龐閻伝)、裴松之注引『魏略』、『太平御覧』引『魏略』。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・善

禁令を破って弔い、官を捨てて走ったが、それは忠義という筋を通すためだった。喪に三年服するなど礼も守っていることから、規律は中立に置いています。

面識のあるなしにかかわらず、刺史と太守のために命を懸けて動いたことから、動機は利他寄りに置いています。母の名を背負う家の人としての面もあり、強い利他とまではしていません。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。