三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

鮑勲

太子にも皇帝にも、曲げずに諫めた人

鮑勲は、泰山郡平陽県の人で、曹操の挙兵を助けて戦死した鮑信の子です。建安22年(217年)、太子曹丕の中庶子となり、太子夫人の郭氏の弟が官布を盗んで死罪に当たったとき、太子が何度も赦すよう頼んでも、独断で赦さず上奏しました。曹丕が即位すると、服喪中の狩猟を諫め、追従した劉曄を強く非難して、右中郎将に左遷されます。黄初6年(225年)の呉への親征でも面と向かって諫め、さらに怒らせました。のち廷尉に収められ、鍾繇・華歆・陳群らが父の功を挙げて助命を求めましたが許されず、誅殺されます。死んだ日、家に余財はなかったといいます。経歴は『三国志』魏書 鮑勲伝をもとにしています。

魏の文官。鮑信の子。太子時代の曹丕に仕え、のち文帝となった曹丕を諫め続けた。226年、文帝の怒りにふれて誅殺された。

THE WAY OF LIFE

鮑勲の生き方

相手が太子でも皇帝でも、正しいと考えたことを口にした。鮑勲は、信じる筋を曲げない人物像です。

助命を求める重臣がいても許されず、最後まで態度を変えなかったと伝わる。信条と規律の高さに、その一貫を重ねています。

持ち味と、その裏側

立場の強い相手にも言うべきことを言う勇気と、規則を曲げない一貫性。一方で、主君の怒りを何度も受けてきたため、伝え方の工夫が命運を左右する立場でもありました。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年未詳〜黄初7年(226年)

泰山郡平陽県の人。鮑信の子。

  1. 鮑信の子。鮑信は曹操の挙兵を助けた人物で、戦死している。裴注が引く『魏書』は、鮑勲が「清白で高い節操があった」と伝える。
  2. 建安22年(217年)、太子曹丕の中庶子となった。太子夫人の郭氏の弟(曲周県の吏)が官布を盗み、法では死罪に当たった。太子は鄴に留まり、何度も手書きで赦すよう頼んだが、鮑勲は独断で赦さず、そのまま上奏した。太子はこれを恨んだ。
  3. 曹丕が文帝として即位すると、服喪中の狩猟を諫めた。文帝はその上疏を自ら破り、なお狩りに出た。途中で「狩りの楽しさは音楽と比べてどうか」と尋ね、侍中の劉曄が「狩りが勝ります」と答えると、鮑勲は強く反論して劉曄の追従を非難した。文帝は怒り、鮑勲を右中郎将に左遷した。
  4. 黄初6年(225年)の呉への親征でも面と向かって諫め、さらに文帝を怒らせて、治書執法に左遷された。
  5. のち、軍営の令史の劉曜が罪を得て、鮑勲が上奏して退けた。すると劉曜が、鮑勲が孫邕の件を私的に処理したと密かに上表した。文帝は「鮑勲は鹿を指して馬とする(是非をねじ曲げる)」と責める詔を下し、鮑勲は廷尉に収められた。廷尉は懲役五年相当と議したが、三官は罰金二斤に留めるべきだと反駁した。文帝は激怒した。鍾繇・華歆・陳群・辛毗・衛臻・高柔らが、父鮑信が太祖に功があったとして助命を求めたが、許されず、鮑勲は誅殺された。
  6. 本文は、鮑勲は家の内を整えて清廉で、人に施しもしたが、死んだ日、家に余財はなかったと記す。その二十日ほど後に文帝も崩じ、人々は鮑勲の死を嘆き惜しんだ。曹丕の没年は226年で、鮑勲の誅殺もそのころとなる。
  7. 曹丕は、曹植を殺さず、曹幹を厚く遇した一方で、このように諫める臣には厳しかった。曹丕の人物像の振れ幅を示す記録である。

主な出典
『三国志』魏書 鮑勲伝(裴松之注に引く『魏書』を含む)

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

郭夫人の弟の罪を私情で赦さず、法のとおりに奏上した姿から、規律は強い秩序寄りとしています。

左遷や処罰を受けても、規則と諫言を曲げなかった記録から、動機は他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。