CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
鮑出
母を救った在野の侠客
鮑出は、字を文才といい、京兆新豊の人です。興平年間の飢饉と混乱のなか、人を食う賊に母をさらわれると、兄弟が敵の多さにひるむ中で、ただ一人で追いかけました。『魏略』は、賊を何人も斬って母を救い、一緒に捕らわれていた近所の老婆も解放させたと伝えます(細部は他の史料で確かめられません)。帰郷の際は、山道は車が危険だと考えて、歩けない母を自分で背負いました。郷里が官への推薦を申し出ても、農民には務まらないと辞退した在野の人です。経歴は『三国志』魏書 閻温伝注引『魏略』勇侠伝をもとにしています。
さらわれた母を救うために単身で追い、同じく捕らわれた隣人にも手を差し伸べた、在野の侠客。
THE WAY OF LIFE
鮑出の生き方
危機を前にした鮑出は、誰かが動くのを待たず、母を救うため自ら踏み出しました。大きな計画より、今ここで守りたい人のために動く人物像です。
母だけでなく、共に捕らわれた隣人も見捨てなかった逸話に、身近な責任から他者への救援へと広がる行動力を重ねています。
持ち味と、その裏側
切迫した場面でためらわず動き、人を守る力。一方で、危険を一人で抱え込みやすいため、助けを求めることも守り方の一つです。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜三国初期)
字は文才。京兆新豊の人。
- 興平年間(194〜195年)の飢饉と混乱の中、母や兄弟と暮らしていた。若い頃は遊侠を好んだ(『魏略』勇侠伝)。
- 食べ物が尽き、兄弟が野草の実を採りに出た留守に、人を食う賊数十人が母をさらった。兄弟が敵の多さを恐れる中、鮑出は単身で追跡した(『魏略』)。
- 賊に追いつくと、4〜5人を斬り、包囲を飛び越えてさらに十数人を倒したと『魏略』は伝える。人数や細部は他の史料で確かめられない。
- 母を救った後、一緒に捕らわれていた近所の老婆にも「此我嫂也」と言って解放させた。実際の兄嫁ではなかった(『魏略』)。
- 建安5年(200年)、故郷へ戻る際、歩けない母を籠に乗せて自分で背負って帰った。山道では車が危険だと考えたため(『魏略』)。
- 郷里の人々が官への推薦を申し出たが、農民には官吏は務まらないとして辞退した(『魏略』)。
- 母は青龍年間(233〜237年)に百歳を超えて没した。鮑出は当時七十歳を超えていた。『魏略』は、その後も八十〜九十歳まで健在だったと記す(『魏略』)。
- 魚豢は、礼教によってではなく心の痛みから自然に生じた行動だと評し、庶民の身分でも節義を重んじる君子と変わらないと讃えた(『魏略』)。
主な出典
『三国志』魏書 閻温伝注引『魏略』勇侠伝
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・善
官の役職や手続きによらず、自らの判断と行動で人を救う在野の侠客像として、規律は裁量寄りに置いています。
母を救う家族への思いに加え、助けを求めた隣人も救った点を重視し、動機は利他寄りの境界に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。