三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

高幹

袁紹の甥。曹操の背後を衝き、并州から壺関まで粘り抜いた男

高幹は、袁紹の甥にあたる人物で、袁紹から并州刺史に任じられました。袁紹の死後も并州を守りましたが、鄴が落ちると曹操に降伏します。ところが曹操が北方の烏桓を討っている隙に再び背き、壺関に立てこもりました。曹操自ら大軍で攻められて壺関が陥落し、荊州へ逃れる途中で殺されます。経歴は『三国志』などをもとにしています。

字は元才。兗州陳留郡圉県の人で、袁紹の甥にあたる。建安4年(199年)ごろ、袁紹から并州刺史に任じられた。袁紹の死後も并州を治めたが、建安9年(204年)8月、曹操が鄴を落とすと、匈奴の呼廚泉とともに并州を挙げて降伏した。曹操は高幹を殺さず、并州の統治を任せた。建安10年(205年)8月、曹操が幽州の烏桓を討っている隙に背き、上党太守を捕らえて壺関を閉ざした。鄴への奇襲軍は鄴の監軍校尉・荀衍に見破られて討たれ、呼応した河東の衛固らも鍾繇・張既・杜畿・賈逵らに破られた。翌年、曹操が自ら攻めると壺関は陥落し、高幹は劉表を頼って荊州へ向かう途中、上洛都尉の王琰に殺された。

THE WAY OF LIFE

高幹の生き方

袁紹の甥という縁故だけでなく、才と野心を備えた人と伝わる。袁氏が崩れていくなかでも、并州という自分の足場を手放さなかった。

一度降伏して許されたあとも、曹操の背後が空く瞬間を待って動いた。仕掛けは周到だったが、曹操の後方を支える人材は厚く、野心は実を結ばなかった。

持ち味と、その裏側

一州を預かって兵を集め、機をうかがって動く胆力。曹操の背後を衝く策は、曹操を二度危うくさせた。一方で、自信が強すぎる面があり、四方の游士を集めながら人を選ぶ目は危ういと見られた。仲長統は「志は大きいが才が伴わず、人を好むが選べない」と戒めたが、聞き入れられなかった。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜206年

兗州陳留郡圉県の人。字は元才。袁紹の甥にあたる。

  1. 兗州陳留郡圉県の人で、伯父は袁紹。初平2年(191年)、袁紹の命で韓馥のもとへ使者に立ち、冀州を袁紹に譲らせた一行に加わった。
  2. 建安4年(199年)ごろ、袁紹から并州刺史に任じられた。袁譚・袁煕と同じく一州を任される、異例の待遇だった。
  3. 袁紹の死後、袁尚の命で郭援とともに河東へ攻め入った。馬騰・韓遂や匈奴の呼廚泉と結んで数万の軍勢となったが、馬騰が曹操側に戻り、郭援が龐徳に討たれて窮地に陥った。
  4. 建安9年(204年)8月、曹操が鄴を落とすと、呼廚泉とともに并州を挙げて降伏した。曹操は高幹を処刑せず、并州の統治を任せた。
  5. 建安10年(205年)8月、曹操が幽州の烏桓を討っている隙に背き、上党太守を捕らえて壺関を閉鎖した。鄴への奇襲軍は荀衍に見破られて誅され、呼応した衛固・張琰・張白騎らも鍾繇・張既・杜畿・賈逵らに破られた。
  6. 翌年1月、曹操が自ら大軍で攻めてきた。高幹は呼廚泉を頼ったが援軍は得られず、三か月後、曹仁の策で壺関が陥落した。
  7. 高幹は劉表を頼って荊州へ逃れようとしたが、途中で上洛都尉の王琰に殺され、首は曹操に届けられた(206年)。

主な出典
『三国志』魏書(袁紹伝・高柔伝などに関連記事)。経歴は Wikipedia「高幹」の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・悪

降伏と離反を繰り返し、機を見て動く姿から、規律は中立〜やや混沌寄りに置いています。

并州を預かる立場にありながら、降伏の後も曹操の留守を狙って背いたことから、動機は自己(野心)寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。