三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

馬騰

涼州に生きた、温厚な軍閥の長

馬騰は、字を寿成といい、後漢の名将・馬援の子孫とされる、涼州の軍閥です。母は羌の人で、貧しい中で育ち、山で木を切って城市で売って暮らしました。身長は八尺あまりで、温厚で賢明だったため、多くの人に慕われたといいます。184年の涼州の反乱で兵を挙げ、のち韓遂と義兄弟の契りを結びましたが、互いに攻め合い、妻子を殺されました。208年、張既の説得を受けて衛尉となり、鄴に移りますが、実質は人質でした。212年、子の馬超が挙兵すると連座して処刑され、三族も絶たれます。馬岱だけが逃れました。経歴は『三国志』蜀書 馬超伝、魏書 武帝紀・張既伝をもとにしています。

涼州の軍閥。韓遂と義兄弟の契りを結びながら争い、のち曹操のもとで衛尉となって鄴に移ったが、子の馬超の挙兵に連座して212年に処刑された。

THE WAY OF LIFE

馬騰の生き方

体も心も大きく、人を包み込む。馬騰は、堂々とした統率力と、温厚な人柄を併せ持つ人物像です。

貧しい出から、涼州の長にのぼりつめた。統率の高さと、構想の低さに、その人望と、駆け引きの不得手さを重ねています。

持ち味と、その裏側

身分を問わず人を引き寄せる人望と、前に立って兵を率いる統率力。一方で、政略には疎く、韓遂との争いや曹操への対応で、立場を危うくしました。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

?年〜建安17年(212年)

司隷右扶風茂陵県の人(涼州隴西郡で育つ)。字は寿成。後漢の名将・馬援の子孫とされ、母は羌の人。

  1. 父の馬平は、家が貧しく、羌の娘を妻とした。馬騰は貧しい中で育ち、山で木を切り、背負って城市で売って暮らした。
  2. 身長は八尺(約184cm)あまりで体格に優れ、顔立ちも雄々しく、温厚で賢明だったため、多くの人に慕われた。
  3. 184年、涼州刺史の耿鄙の募集に応じて、反乱の鎮圧に加わり、軍従事から軍司馬となった。187年、韓遂が耿鄙を殺すと、馬騰も韓遂らに加わり、三輔に攻め入った。
  4. 190年、董卓が長安に遷都すると、出仕して偏将軍となった。192年に董卓が暗殺されると、李傕・郭汜に従って征西将軍となり、郿県に駐屯した。
  5. 李傕と食糧をめぐって対立し、益州の劉焉と手を結んで長安を襲ったが、敗れて涼州へ退いた。
  6. 韓遂とは義兄弟の契りを結んでいたが、のち互いに攻め合い、馬騰は妻子を殺された。鍾繇・韋端の仲介で争いはおさまり、双方が子を人質として都へ送った。のち前将軍・仮節となり、槐里侯に封じられた。
  7. 202年、鍾繇の使者の張既に説得されて、郭援・高幹の討伐に協力し、子の馬超に1万あまりの兵をつけて送った。征南将軍に任じられ、開府を許された。
  8. 208年、張既の説得を受けて、衛尉となり、鄴に移った。実質的には曹操の人質だった。子の馬休は奉車都尉、馬鉄は騎都尉となった。
  9. 211年、馬超ら関中の諸将が、曹操の漢中攻めを疑って蜂起し、潼関で大敗した。212年1月に馬超が隴上で再び挙兵し、5月に、馬騰は連座して処刑され、三族も絶たれた。馬休・馬鉄も同じく処刑され、馬岱だけが逃れた。
  10. 『三国志演義』では、漢王朝への忠義の人として描かれる。黄奎らと曹操の暗殺を企てるが露見して殺され、これを聞いた馬超が挙兵する。

主な出典
『三国志』蜀書 馬超伝・魏書 武帝紀・張既伝・同注引『典略』、『三国志演義』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・善

朝廷への帰順と反乱を、情勢に応じて繰り返した姿から、規律は裁量寄りとしています。

士人を厚く遇し、三輔の民からも敬われた姿から、動機は利他寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。