三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

馬忠

南中を長く守った、威と恩を併せ持つ庲降都督

馬忠は、字を徳信といい、巴西郡閬中の人です。幼くして外祖父の家に養われ、狐篤の名で育ち、のち姓を戻して名を忠と改めました。章武2年(222年)、猇亭で敗れた劉備のもとへ兵を送ると、劉備は「黄権を失ったが、狐篤を得た」と称賛したと伝わります。建興3年(225年)に牂牁太守として朱褒の反乱を平定し、建興11年(233年)には庲降都督として夷族の首領・劉冑を討って、南中の統治を担いました。威と恩を併せ持つ統治で南中を長く守り、延熙12年(249年)、在任中に没して、子の馬脩が爵を継ぎます。経歴は『三国志』蜀書 黄李呂馬王張伝と『華陽国志』をもとにしています。

巴西郡阆中の人。字は徳信。幼くして外祖父の家に養われ、姓は狐、名は笃。後に姓を戻し、名を忠と改めた。郡吏を経て、建安末に孝廉に推挙され、汉昌県長となる。章武2年(222年)、猇亭で敗れた劉備のもとに兵を送り、「黄権を失ったが、狐笃を得た」と称賛された。建興11年、庲降都督として劉胄の反乱を討ち、南中の統治を担った。延熙12年(249年)、在任中に没し、子の馬脩が爵を継いだ。

THE WAY OF LIFE

馬忠の生き方

南中では、刘胄や朱褒の反乱を討つ一方、敗者を抚育し、民には恩を示した。陈寿は「威恩并立」「蛮夷畏而爱之」と評する。その統治が、武力の裏打ちの上に成り立っていたことも見ておく必要がある。

『三国志演義』では第87〜102回に登場し、南征や北伐の戦功が描かれる。「関羽を捕らえた」のは呉の馬忠(同名の別人)の事績で、蜀の馬忠のものではない。「黄忠を射た」も呉の馬忠に結びつけられた演義・民間の設定で、史書にはない。

持ち味と、その裏側

南中の夷族と漢人を、威と恩の両面で治めた統治力。蒋琬の東進策を止める政治的な判断も、実務に長けた人物像に合う。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜249年(延熙12年)

巴西郡阆中(現在の四川省阆中)

  1. 生年不詳: 外祖父の家に養われ、狐笃の名で育つ。後に姓を戻し、名を忠と改める(『三国志』)。
  2. 建安末: 孝廉に推挙され、汉昌県長となる(『三国志』)。
  3. 222年(章武2年): 猇亭で敗れた劉備のもとへ兵を送る。劉備は「黄権を失ったが、狐笃を得た」と称賛(『三国志』)。
  4. 225年(建興3年): 牂牁太守として、郡丞の朱褒の反乱を平定し、民を撫恤する(『三国志』)。
  5. 231年(建興9年): 汶山の羌の反乱を討つ。張嶷を先鋒とする(『三国志』)。
  6. 233年(建興11年): 庲降都督として、張翼の後を継ぎ、夷族の首領・刘胄を討ち取る。治所を味県へ移す(『三国志』)。
  7. 242年(延熙5年): 成都に戻り、蒋琬に東進策の中止を伝える(『三国志』)。
  8. 244年(延熙7年): 曹爽の汉中侵攻に際し、成都で平尚書事を務める(『三国志』)。
  9. 249年(延熙12年): 在任中に没する。子の馬脩が爵を継ぐ(『三国志』)。

主な出典
『三国志』蜀書 黄李呂馬王張伝(裴松之注を含む)、『華陽国志』南中志。『三国志演義』第87〜102回(演義の戦功は脚色を含む)。

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

規律4のため秩序。郡の治安を整え、軍中の事務と統治を安定させた。

夷族と漢人の双方を安んじ、威と恩を両立させることを重んじた。武力による討伐も行ったが、その目的は南中の安定と民の救済に置かれている。動機は善として扱います。ただし、討伐の苛烈さについては史料の記述を超えて評価しません。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。