CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
馬岱
一族の最後の生き残りとして、黙々と戦い続けた武人
馬岱は、司隷扶風郡茂陵県の人で、馬超の従弟です。馬超の一族の多くが曹操に殺されたあと、馬氏の血筋を継ぐ数少ない一人として残りました。章武2年(222年)、病が重くなった馬超は、従弟の馬岱だけが残っていると劉備に上疏し、馬氏の祭祀を継ぐ者として馬岱を託します。のち平北将軍・陳倉侯に進み、建興12年(234年)、諸葛亮が五丈原で亡くなって全軍が撤退するとき、楊儀の命を受けて魏延を追い、これを斬りました。『演義』では、諸葛亮から密かに命じられて魏延を斬る場面が語られます。経歴は『三国志』蜀書 馬超伝・魏延伝をもとにしています。
馬超の従弟。馬超が一族を失ったあと、馬氏の祭祀を継ぐ者として蜀に残り、諸葛亮の死後は魏延を討った。
THE WAY OF LIFE
馬岱の生き方
多くを語らず、命じられた務めを果たす。馬岱は、揺るがない信条と、堅実な忠実さを併せ持つ人物像です。
一族が絶えかけた重みを、静かに背負っている。信条と規律の高さと、表現の低さに、その寡黙さを重ねています。
持ち味と、その裏側
与えられた役目を、黙って確実にやり遂げる実直さと、一度決めた務めを曲げない芯の強さ。一方で、自分の考えを表に出さないため、功績が目立たず、評価されにくくなります。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳
司隷扶風郡茂陵県の人。馬超の従弟。
- 馬超の従弟。馬超が一族の多くを曹操に殺されたあと、馬氏の血筋を継ぐ数少ない一人として残った。
- 章武2年(222年)、馬超は病が重くなると、一族のほとんどが曹操に殺され、従弟の馬岱だけが残っていると劉備に上疏し、馬氏の祭祀を継ぐ者として馬岱を託した。
- のち、平北将軍・陳倉侯に進んだ。
- 建興12年(234年)、諸葛亮が五丈原で亡くなり、全軍が撤退するとき、楊儀の命を受けて魏延を追い、これを斬った。
- 建興13年(235年)には魏へ攻め入ったが、牛金に敗れたとされる。
- 『三国志演義』では、諸葛亮から、魏延が叫んだときに不意を突いて斬るよう密かに命じられ、南鄭城の前で実行する。馬超とともに戦う場面も語られ、蜀の忠臣として描かれる。
主な出典
『三国志』蜀書 馬超伝・魏延伝、魏書 明帝紀、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・中立
命令と務めの筋を守って動く姿から、規律は秩序寄りとしています。
亡き一族と、仕える蜀への務めの両方を重んじる姿から、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。