CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
韓当
三代の主に仕え、静かに弓を引く老将
韓当は、字を義公といい、幽州遼西郡令支県の人です。弓術と馬術に優れ、腕力も強く、孫堅に見出されて仕えました。孫策に従って江東の平定に加わり、孫策の死後は孫権に仕え、孫堅・孫策・孫権の三代に仕えた老将です。建安13年(208年)の赤壁の戦いに加わり、黄武元年(222年)の夷陵の戦いでは、陸遜・朱然とともに蜀軍を迎え撃って、威烈将軍・都亭侯となりました。『演義』では、孫堅に従う四将軍の一人として登場します。経歴は『三国志』呉書 韓当伝をもとにしています。
孫堅・孫策・孫権の三代に仕えた、弓の名手の老将。
THE WAY OF LIFE
韓当の生き方
派手に目立つより、与えられた持ち場を長く守り続ける。韓当は、年月に裏打ちされた忠義と、静かな威厳を持つ人物像です。
三代の主に仕えても、誠実さは変わらなかった。信条と規律の高さに、その一貫性を重ねています。
持ち味と、その裏側
長い経験に支えられた安定感と、仲間を落ち着かせる存在感。一方で、慣れたやり方に頼りすぎやすいため、新しい状況に合わせる柔軟さも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜呉の黄武年間以降)
字は義公。幽州遼西郡令支県の人。
- 弓術と馬術に優れ、腕力も強かった。孫堅に見出されて仕えた。
- 孫策に従って江東三郡の平定に加わり、先登校尉となった。孫策の死後は孫権に仕えた。
- 建安13年(208年)の赤壁の戦いで、中郎将として周瑜らとともに曹操軍を迎え撃った。
- 建安24年(219年)には呂蒙らと南郡の攻略に加わり、黄武元年(222年)の夷陵の戦いでは陸遜・朱然とともに蜀軍を迎撃して、威烈将軍・都亭侯となった。
- 黄武2年(223年)に石城侯・昭武将軍となり、のち敢死兵(決死隊)1万を率いて丹陽の賊を討った。『演義』では、孫堅に従う四将軍の一人として登場する。
主な出典
『三国志』呉書 韓当伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
長年の務めと決まりを守って動く姿から、規律は秩序寄りとしています。
長く仕えた主家への忠義を軸に動く姿から、動機は中間よりやや利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。