三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

陳表

罪人の枷を外して真実を聞いた、孫登の友

陳表は、字を文奥といい、廬江郡松滋県の人で、呉の将・陳武の庶子です。若くして名を知られ、諸葛恪・顧譚・張休とともに太子孫登に仕え、親しく交わりました。父が合肥で戦死すると、自ら将となることを願い出て五百の兵を率い、兵を心から大切にして慕われます。盗みを疑われ、拷問されても口を割らなかった兵・施明を任されると、枷を外して湯浴みをさせ、衣を替えて酒食でもてなし、自ら罪と仲間を明かさせました。山越の討伐では、褒美として与えられた二百戸の民を「父の仇を討つのは人あってのこと。精兵を下僕にしておくのは本意ではない」と兵に加えています。財をすべて兵の世話に使ったため、34歳で亡くなった日、妻子は住む家もなく、太子孫登が家を建てました。経歴は『三国志』呉書 陳武伝(附 陳表伝)をもとにしています。

呉の将・陳武の庶子。太子孫登に仕えた。父の戦死後、自ら五百の兵を率い、兵を大切にして慕われた。疑われた兵・施明の枷を外してもてなし、自ら罪を明かさせた。褒美の民も兵に加えて山越の討伐に励み、財を兵に使い尽くして34歳で亡くなった。

THE WAY OF LIFE

陳表の生き方

兄の陳脩が亡くなると、陳表の生母は正妻に仕えようとしなかった。陳表は「私が家を継ぐ以上、嫡母に仕えるのが筋です。それができないなら、別に住んでください」と母を諭し、二人の母はそれを悟って仲睦まじくなったという。

盗みを疑われた兵の施明は、ひどい拷問にも口を割らなかった。陳表は枷を外して湯浴みをさせ、衣を替えて酒食でもてなした。施明は自ら罪と仲間を明かし、孫権は陳表の名を立てて施明だけを許した。施明はのちに将軍にまで出世した。

持ち味と、その裏側

人の心を開かせる誠実さと、兵に慕われる面倒見のよさ。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

建安9年(204年)〜嘉禾6年(237年)

揚州廬江郡松滋県(父・陳武の出身地)

  1. 若い頃: 諸葛恪・顧譚・張休とともに太子孫登に仕える。尚書の曁艶が罪に問われたとき、ほかの者のように身を守らず、士人に重んじられる。太子中庶子から翼正都尉に。
  2. 建安20年(215年): 父の陳武が合肥で戦死する。陳表は自ら将となることを願い、五百の兵を率いる。
  3. その後: 盗みを疑われた無難軍の兵・施明の枷を外してもてなし、自ら罪を明かさせる。無難右部督・都亭侯に進むが、爵位を兄の子の陳延に譲ろうとして許されない。
  4. 黄龍元年(229年): 兄の陳脩が亡くなる。生母を諭して嫡母に仕えさせ、二人を和ませる。
  5. 呂壱が権勢をふるった頃: 潘濬とともに、讒言で捕らえられた鄭冑を救う(『文士伝』)。
  6. 嘉禾3年(234年): 新安都尉として諸葛恪の山越討伐に加わる。褒美の二百戸を兵に加える。三年で降った者を広く受け入れ、一万余りの兵を得る。
  7. その後: 鄱陽の呉遽の反乱に郡境を越えて駆けつけ、降らせる。陸遜により偏将軍・都郷侯となる。
  8. 嘉禾6年(237年): 34歳で在官のまま亡くなる。財は兵の世話に使い尽くし、妻子は住む家もなく、太子孫登が家を建てた。

主な出典
『三国志』呉書 陳武伝(附 陳表伝)、呉主伝の裴松之注所引『文士伝』。陳寿は「将家の庶子でありながら、名家の嫡子や名士と肩を並べ、抜きん出ていた」と評し、裴松之は父にまさる才があったと記す。『三国志演義』には登場しない。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

規律4のため秩序。拷問ではなく筋道で真実を明かさせ、父の爵位を甥に譲ろうとし、家の中でも嫡母を立てるなど、礼と公正を重んじた。

兵や身近な人を大切にし、自分の財や爵位より他人を立てた。動機は他者寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。