CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
閻行
折れた矛で馬超を打った、韓遂の猛将
閻行は、金城郡の人で、字を彦明といいます。のちに艳と改名したとされます。韓遂の部将として、建安初めに馬超へ矛を突き立て、折れた矛で打ちつけて殺しかけた武勇で知られます。建安14年には韓遂の使者として曹操に会い、犍為太守に上表されました。最後は韓遂と袂を分かって曹操のもとに身を寄せ、列侯に封じられています。
韓遂の部将から、曹操のもとへ身を寄せた武将。
THE WAY OF LIFE
閻行の生き方
武勇を頼みに前へ出る人です。馬超に折れた矛を叩きつけた逸話が示すように、一撃の鋭さがあります。
一方で、主と家族の板挟みに置かれ続けた人でもあります。韓遂の娘を娶らされ、曹操と韓遂のあいだで立場を選び続けました。
持ち味と、その裏側
前へ出る勇気と、見切ったら離れる判断の速さ。一方で、立場を変えるたびに信頼が薄れ、どちらの陣営でも完全には信じられない位置に立ちました。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜建安20年(215年)頃
金城郡の人。字は彦明。のちに艳と改名した。
- 韓遂の部将として、建安初めに馬超と戦い、折れた矛で馬超の首を打ってほぼ殺しかけた(『魏略』)。
- 建安14年、韓遂の使者として曹操に会い、厚遇されて犍為太守に上表された。父母を京師へ送った(『魏略』)。
- 建安16年、馬超らの反乱に際して韓遂と馬超の同盟に反対した。曹操の離間策で連合が崩れたあと、韓遂とともに金城へ戻った(『魏略』)。
- 韓遂は阎行に娘を娶らせた。曹操は阎行を疑うようになった(『魏略』)。
- 建安19年、韓遂が西平へ退いたのち、韓遂を夜襲したが勝てず、家族を連れて曹操のもとへ逃れた。列侯に封じられた(『魏略』)。
- 建安20年、夏侯淵の留後として韓遂に攻められ、逃げようとしたとき韓遂が病死した。成公英が曹操に降った(『典略』)。
主な出典
『三国志』魏書(張既伝・二李臧文吕許典二龐閻伝)の裴松之注に引く『魏略』『典略』。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
主君との筋より、自分と家族の安全を優先して動いた場面が多いため、規律は混沌寄りに置いています。
父母と家族を守る現実的な判断が前に出るため、動機は個人寄りに置いています。ただし、韓遂に天下の情勢を説いた場面もあるため、利己と大局が混ざった位置です。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。