CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
関銀屏
父を想い続けた、関羽の娘
関銀屏は、関羽の娘として、のちの物語や民間伝承に語られる人物です。陳寿の『三国志』には名がなく、呂蒙が荊州に入った際に関羽の家族が保護されたことだけが記されています。伝承では、張飛に「銀屏」と名づけられ、成都で趙雲から武芸を学びました。建興3年(225年)の南中遠征に従い、李恢の子・李蔚と婚約したと語られます。のちに兪元に身を寄せ、土地の人から「関三小姐」と呼ばれ、毎朝、金蓮山から北を眺めたと伝わります。経歴は『三国外伝』と各地の伝承をもとにしています。
関羽の娘として、のちの物語に語り継がれる女傑。南中遠征に加わり、父を想いながら静かに生きたと伝わる。
THE WAY OF LIFE
関銀屏の生き方
大きな声で主張するより、黙って父の志を胸に抱き続ける。関銀屏は、思いの深さを行動で示す人物像です。
一方で、武芸の腕は確かで、必要とあれば戦場にも立つ。義理の兄・関平や兄弟とともに、一族の名に恥じない生き方を選びました。
持ち味と、その裏側
筋と情をぶらさずに持ち続ける粘り強さと、周りを静かに支える落ち着き。一方で、胸のうちを言葉にしないため、思いを少しずつ外に出すことも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜三国時代)
荊州の人。関羽の娘と伝わる。(現代の民間伝承に基づく人物で、陳寿『三国志』には名が見えません)
- 関羽の娘として生まれ、張飛に「銀屏」と名づけられたと伝わる。
- 成都で趙雲から武芸を学んだと語られる。
- 建興3年(225年)、諸葛亮の南中遠征に従ったと伝わる。
- 李恢の子・李蔚と婚約したと語られる。
- のちに兪元に身を寄せ、土地の人から「関三小姐」と呼ばれ、毎朝、金蓮山から北を眺めたと伝わる。
- 『三国志』には、呂蒙が荊州に入った際に関羽の家族が保護されたとだけあり、関銀屏の名と武勇の物語は後世の創作・伝承と考えられている。
主な出典
『三国外伝』(1986)、各地の民間伝承
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
家の名と約束を重んじる姿から、規律は守る寄りとしています。
家族と、託された人々への情を軸にした姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。