CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
関興
父の名の重さを、まっすぐ背負う若武者
関興は、字を安国といい、関羽の子です。若いころから評判が高く、諸葛亮にも才を深く認められて、弱冠(20歳ごろ)で侍中・中監軍となりましたが、数年後に世を去りました。正史に残るのは官職と早世の短い記述だけです。『演義』では、張苞と武芸を競い、劉備の仲立ちで義兄弟の契りを結びます。夷陵の戦いで父の仇の潘璋を討ち、父の形見の青龍偃月刀を取り戻し、北伐にも従う武将として描かれますが、これらは演義の脚色です。経歴は『三国志』関羽伝と『三国志演義』をもとにしています。
関羽の子として生まれ、若くして諸葛亮に才を認められた人。『演義』では張苞とともに父の仇討ちに挑む。
THE WAY OF LIFE
関興の生き方
偉大な父の名を前にしても、背伸びせず、自分の持ち場で誠実に応えようとする。関興は、受け継いだものを大切にする、律儀で芯のある人物像です。
口数より行いで示し、仲間とも競い合いながら絆を深めていく。重い期待を静かに受け止める姿を、信条と規律の高さに重ねています。
持ち味と、その裏側
受け継いだ志を守る誠実さと、期待に応えようとする粘り強さ。一方で、父の影を意識しすぎて肩に力が入りやすいため、自分のペースを持つことも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜建興年間(230年以前)
字は安国。司隷河東郡解県の人。関羽の子。
- 関羽の子。若いころから評判が高く、諸葛亮にも才を深く認められた。
- 弱冠(20歳ごろ)で侍中・中監軍となったが、数年後に世を去った(『三国志』関羽伝)。
- 『演義』では、張苞と武芸を競い、劉備の仲立ちで義兄弟の契りを結ぶ。
- 『演義』では、夷陵の戦いで父の仇の潘璋を討ち、父の形見の青龍偃月刀を取り戻す。北伐にも従軍して活躍するが、病で亡くなり、諸葛亮が深く嘆いたと語られる。
- 正史に残るのは官職と早世の短い記述のみで、武勇の逸話の多くは『演義』の脚色。
主な出典
『三国志』蜀書 関羽伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
与えられた役目を、決められた筋に沿って果たそうとする姿から、規律は秩序寄りとしています。
父や主君への思いを軸に動く姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。