三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

鍾繇

関中を治め、楷書の礎を築いた曹魏の太傅

鍾繇は、字を元常といい、豫州潁川郡長社県の人です。若くして孝廉に推挙され、献帝が長安にいたころ、李傕・郭汜と交渉して曹操の使者を通しました。献帝の長安脱出と東帰に力を尽くし、東武亭侯に封じられます。建安4年(199年)、司隷校尉として関中を任され、馬騰・韓遂の子を人質に取り、建安7年(202年)には郭援を汾水で大破して、曹操から「蕭何」になぞらえられました。魏国では大理・相国を経て、黄初4年(223年)に太尉、226年に太傅となります。太和4年(230年)に没し、書は楷書の祖とされます。経歴は『三国志』魏書 鍾繇華歆王朗伝をもとにしています。

豫州潁川郡長社の人。字は元常。若くして孝廉に推挙され、献帝が長安にいた頃、李傕・郭汜と交渉して曹操の使者を通した。献帝の東帰に力を尽くし、東武亭侯に封じられる。曹操に関中を任され、司隶校尉として馬騰・韓遂らを抑え、流民を呼び戻して人口を回復させた。郭援を大破した功により、曹操から「萧何」になぞらえられる。魏国では大理・相国・太尉・太傅を歴任し、太和4年(230年)に没した。書は楷書の祖とされる。

THE WAY OF LIFE

鍾繇の生き方

関中では、馬騰・韓遂らの子を人質に取り、流民を移して人口を回復させた。建安7年(202年)には、郭援を汾水で大破して斬る。郭援は鍾繇の甥だったが、「国賊を討った」と述べて動じなかったと伝わる。その冷静さは、統治者としての強さであり、同時に冷たさとも読める。

楷書の祖とされ、『荐季直表』『宣示表』などが伝わる(真跡は失われ、伝臨本)。政治では肉刑の復活を唱えたが、議論の末に採られなかった。『三国志演義』では長安を失う守将として描かれ、史書の功績とは異なる。『陸氏異林』の妖女退治の逸話も史書の外である。

持ち味と、その裏側

関中の統治と後方支援を支えた実務力と、曹操に「萧何」と評された信任。書の大成も含めた多面的な才能。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

151年〜230年(太和4年)

豫州潁川郡長社県(現在の河南省長葛市)

  1. 151年(推定): 潁川長社に生まれる(『三国志』注)。
  2. 若年: 孝廉に推挙され、尚書郎・陽陵令、廷尉正・黄門侍郎を歴任(『三国志』)。
  3. 195年(興平2年): 李傕・郭汜と交渉して曹操の使者を通す。李傕を討つ謀に加わり、献帝の長安脱出を助ける(『三国志』)。
  4. 196年(建安元年): 献帝の東帰の功により、東武亭侯に封じられる(『三国志』)。
  5. 199年(建安4年): 司隶校尉として持節・関中諸軍を督し、馬騰・韓遂の子を人質に取る(『三国志』)。
  6. 202年(建安7年): 南匈奴単于の乱の平定に当たり、郭援を汾水で大破して斬る(『三国志』)。
  7. 205年(建安10年): 河東で衛固・高干の反乱が起きると、張既とともに鎮圧し、衛固・張琰を斬る(『三国志』)。
  8. 211年(建安16年): 漢中の張魯討伐を命じられる。馬超らが反乱し、関中の戦いが始まる(『三国志』)。
  9. 213年(建安18年): 司隶校尉が廃され、前軍師となる。魏国が建つと大理に任ぜられる(『三国志』)。
  10. 216年(建安21年): 相国となる(『三国志』)。
  11. 219年(建安24年): 魏諷の謀反事件に連座して免官される。のち復帰する(『三国志』)。
  12. 223年(黄初4年): 太尉に任ぜられる(『三国志』)。
  13. 226年(黄初7年): 曹叡の即位で定陵侯に進み、太傅となる(『三国志』)。
  14. 230年(太和4年): 没する。謚は成(『三国志』)。
  15. 243年(正始4年): 魏武帝の廟に配享される(『三国志』)。

主な出典
『三国志』魏書 鍾繇華歆王朗伝第十三(裴松之注を含む)。『三国志演義』(長安の守将として描写)。

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

規律4のため秩序。肉刑の復活を唱えるなど、法制度の整備を重んじた。

王室の安定と民の立て直しを重んじた。動機は善として扱います。ただし、曹操に仕えた後は魏の勢力拡大を支えた面もあり、漢室への忠と曹氏への忠の関係は評価が分かれます。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。