CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
金郷公主
何晏の先行きを案じ、母に打ち明けた曹操の娘
金郷公主は、曹操の娘で、何晏の妻です。母は杜氏とされます。何晏の軽率な振る舞いが、身を滅ぼすのではないかと案じて、母に打ち明けたと伝わります。高平陵の変(249年)で何晏が殺されたとき、金郷公主と子は、何晏の母の尹氏の願いで助かりました。本人の言葉や人柄を伝える記録は少なく、ここでは記録の少なさを踏まえた暫定の値を置いています。
曹操の娘で、何晏の妻。母は杜氏とされ、曹林の同母妹と伝わる。何晏の先行きを案じて、母に打ち明けた。高平陵の変で何晏が殺されたとき、尹氏の嘆願で、子とともに助かった。
THE WAY OF LIFE
金郷公主の生き方
夫の何晏の軽率さが、身を滅ぼすと案じた。先を読む力を、構想の値に置いています。
記録は、母や夫との関わりの中での、短い逸話が中心です。値は暫定のものです。
持ち味と、その裏側
夫の振る舞いが、のち破滅につながることを見通した先見。司馬懿も、その先見に感心したと伝わる。ただし、記録は短く、決断や行動力は読み取れません。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年未詳(201年頃)〜没年未詳
曹操の娘。母は杜氏。同母兄に曹林・曹袞。夫は何晏。
- 曹操の娘で、母は杜氏とされる。沛王の曹林の同母妹にあたる。生年は、201年頃とされる。
- 曹操は何晏を厚遇し、娘の金郷公主を妻に与えた。何晏の母は尹氏で、曹操の側室となっていた。
- 『魏末伝』は、金郷公主は、実は尹氏が産んだ何晏の同母妹だったとする説を伝える。裴松之はこれを疑わしいとして退けたと、英語版Wikipediaにある。
- 金郷公主は、何晏の軽率な振る舞いが、のち身を滅ぼすと案じて、母の杜氏に打ち明けた。杜氏は笑って、『それなら、そなたが妬むことはあるまい』と答えたと伝わる。この逸話は、裴松之が注に引く『魏末伝』が伝える。
- 正始10年(249年)の高平陵の変で、何晏は司馬懿に殺された。司馬懿は何氏の一族を滅ぼそうとした。何晏の母の尹氏が、孫を宮中に隠し、使者に向かって自分の頬を打って、命乞いをした。『魏末伝』は、使者がこれを司馬懿に伝え、金郷公主の子は助かったと記す。
- 司馬懿は、金郷公主に先見の言葉があったと聞いて、心の中で常に賞賛していたという。沛王の曹林への配慮もあって、特に赦して殺さなかった、と『魏末伝』は記す。
- 『昭明文選』所引の『魏略』は、杜夫人が沛王の曹豹(曹林)と高城公主を産んだと伝える。高城公主が金郷公主の別の称号なのか、別の娘なのかは、分からない。
- 助かった後の金郷公主の消息は、伝わらない。
主な出典
『三国志』魏書 諸夏侯曹伝(何晏)の裴注に引く『魏末伝』『魏略』、『昭明文選』所引『魏略』、英語版・日本語版Wikipediaの記述
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:真なる中立
規律を示す記録が乏しいため、中間に置いています。
夫の先行きを案じた逸話以外に記録が乏しく、動機を一方に定められないため、中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。