CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
郝昭
守ると決めたら、一歩も退かない城守り
郝昭は、字を伯道といい、并州太原郡の人です。河西の守りを10年あまり任され、民と異民族に恐れられ、慕われたと伝わります。太和2年(228年)、諸葛亮の第2次北伐のとき、曹真の命で、わずかな兵で陳倉の城を守りました。同郷の靳詳が何度も降伏を呼びかけても断り続け、雲梯や衝車は火矢と石臼で、地道には横穴で対抗し、20日あまり持ちこたえます。諸葛亮は兵糧が尽きて撤退しました。『演義』では、病で倒れた隙を突かれて城を奪われますが、史実ではありません。経歴は『魏略』『三国志』魏書 明帝紀・張郃伝の注をもとにしています。
魏の将。陳倉の城を少ない兵で守り抜き、諸葛亮の北伐を退けた。
THE WAY OF LIFE
郝昭の生き方
目立つことより、任された場所を守り切ることに価値を置く。郝昭は、どんな圧力にも揺らがない粘り強さと、静かな責任感を持つ人物像です。
降伏の呼びかけを退け、火と石で攻めを防いだ。信条と規律の高さに、その堅さを重ねています。
持ち味と、その裏側
持ち場を守り抜く責任感と、準備を整えて備える慎重さ。一方で、一つの守りに集中しすぎやすいため、状況の変化に気を配ることも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜魏の明帝期)
字は伯道。并州太原郡の人。
- 河西の守りを10年あまり任され、民と異民族に恐れられ、慕われたと伝わる。
- 太和2年(228年)、諸葛亮の第2次北伐のとき、曹真の命で陳倉の城を守った。兵はわずかだった。
- 同郷の靳詳が何度も降伏を呼びかけたが、郝昭は断り続けた。
- 雲梯や衝車は火矢と石臼で壊し、井闌には防御の塀、地道には横穴で対抗し、20日あまり持ちこたえた。諸葛亮は兵糧が尽きて撤退した。
- その後、病没した。『演義』では雑覇将軍とされ、病で倒れた隙を諸葛亮に突かれて城を奪われる。
主な出典
『三国志』魏書 明帝紀・張郃伝の注(『魏略』)、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・中立
任された持ち場と、国の決まりを守る姿から、規律は秩序寄りとしています。
守るべき国と城への責任から動く姿から、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。