CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
辛憲英
静かな目で、先の先まで見通す人
辛憲英は、潁川郡陽翟県の人で、辛毗の娘、羊耽の妻です。聡明で、人を見る目に優れていました。建安22年(217年)、曹丕が太子に決まって喜ぶ様子を聞き、「それでは長続きしない」と憂えたと伝わります。高平陵の変(249年)では、弟の辛敞に「司馬懿は政変を成功させるでしょう。職務を果たしなさい」と助言しました。景元3年(262年)、鍾会が鎮西将軍になると、「独断で物事を決める人で、野心がないか心配」と述べています。泰始5年(269年)、数え79歳で亡くなりました。経歴は『三国志』魏書 辛毗伝の注と『晋書』列女伝をもとにしています。
辛毗の娘で、羊耽の妻。人の本質を見抜く洞察で知られた魏の才女。
THE WAY OF LIFE
辛憲英の生き方
目立つ場に立たなくても、物事の流れを静かに見通している。辛憲英は、深い洞察と、落ち着いた思慮深さを持つ人物像です。
人の言葉や振る舞いから、先行きを察して忠告した。構想の高さと、決断を急がない慎重さに、その静かな知性を重ねています。
持ち味と、その裏側
人の性質と状況の流れを見抜く洞察力と、冷静な助言。一方で、先が見えすぎて慎重になりすぎることがあるため、踏み出す一歩を意識することも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
初平2年(191年)〜泰始5年(269年)
潁川郡陽翟県の人。辛毗の娘。夫は羊耽。
- 辛毗の娘。聡明で、人を見る目に優れていた。
- 建安22年(217年)、曹丕が太子に決まって喜ぶ様子を聞き、「それでは長続きしない」と憂えたと伝わる。
- 正始10年(249年)の高平陵の変では、弟の辛敞に「司馬懿は政変を成功させるだろう。職務を果たしなさい」と助言した。
- 景元3年(262年)、鍾会が鎮西将軍になると、「独断で物事を決める人で、野心がないか心配」と述べた。翌年、子の羊琇が鍾会の参軍として蜀征伐に従った。
- 泰始5年(269年)、数え79歳で亡くなった。
主な出典
『三国志』魏書 辛毗伝の注、『晋書』列女伝
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
礼や義理をわきまえ、筋を通して助言する姿から、規律は秩序寄りとしています。
家族や周囲の人の安全を気づかう姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。