三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

趙儼

諸将の不和を収め、軍を一つに束ねた曹魏の調停役

趙儼は、字を伯然といい、潁川陽翟の人で、若くして辛毗・陳群・杜襲とともに名を知られ、「辛・陳・杜・趙」と並び称されました。荊州に避難した際は劉表の招きを断り、建安元年(196年)に曹操が献帝を許に迎えたと聞くと、杜襲・繁欽らとともに北へ帰ります。官渡のころには、張遼・楽進・于禁の不和を調停して三軍を統べ、建安13年(208年)に都督護軍として七軍を統率しました。建安24年(219年)の樊城の包囲では、徐晃の救援を助けています。河東太守・度支尚書などを歴任し、正始6年(245年)に没しました。経歴は『三国志』魏書 和常楊杜趙裴伝をもとにしています。

潁川阳翟の人。字は伯然。若くして辛毗・陳群・杜襲とともに名を知られ、「辛・陳・杜・趙」と並び称された。荊州に避難した際、劉表の招きを断り、196年に曹操が献帝を許に迎えると、杜襲・繁欽らとともに北へ帰った。朗陵長から司空府に入り、張遼・楽進・于禁の不和を調停したのち、都督護軍として諸将を統率した。魏の文帝の代には河東太守・度支尚書などを歴任し、正始6年(245年)に没した。謚は穆侯。

THE WAY OF LIFE

趙儼の生き方

張遼・楽進・于禁の不和を調停し、三将の積もった怨みを解いた。以後は都督護軍として七軍の諸将を統率する役を担う。関中では兵の反乱が起きた際、首謀者のみを処罰し、他の者は問わずに軍を収めた。

樊城の包囲では、徐晃の救援に加わり、援軍を待ちつつ関羽を孤立させる策を示した。関羽が撤退すると、曹仁の追撃を止め、孫権との関係を重んじた。ただし、兵を欺いて千人を留めた処置は、孫盛から「信を以て終えるべきだ」と批判された。『三国志演義』には登場しない。

持ち味と、その裏側

諸将の利害を見て、感情を収めて和解させる調整力。兵の離反に際しては、自ら説得して軍を動かさずに鎮めた。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

171年〜245年(正始6年)

潁川阳翟(現在の河南省禹州市)

  1. 171年(推定): 潁川阳翟に生まれる。
  2. 196年(建安元年): 荊州で劉表の招きを断る。曹操が献帝を許に迎えたことを聞き、杜襲・繁欽とともに北へ帰る(『三国志』)。
  3. 197年(建安2年): 朗陵長となる。悪質な豪族を捕らえて死罪に問うが、郡に上申して解放させ、恩威を並び立てる(『三国志』)。
  4. 200年(建安5年): 阳安郡で李通を説き、袁紹の招撫に応じず、租税の綿絹を民に返還させる(『三国志』)。
  5. 官渡の頃: 張遼・楽進・于禁の不和を調停し、参軍として三軍を統べる(『三国志』)。
  6. 208年(建安13年): 章陵太守となり、都督護軍として七軍を統率する(『三国志』)。
  7. 211年(建安16年): 関中護軍として殷署らとともに羌を破り、陳倉の反乱を鎮める(『三国志』)。
  8. 219年(建安24年): 樊城の包囲に際し、徐晃の救援を助け、曹仁の追撃を止める(『三国志』)。
  9. 220年以後(黄初年間): 侍中・駙馬都尉を経て、河東太守となる。後任として寡婦の徴発を行い、杜畿に「生きた人の妻を集めた」と皮肉られたと伝わる(『三国志』)。
  10. 245年(正始6年): 没する。謚は穆侯。葬儀で夏侯玄の遅参に客が席を越えて迎えたことが、司馬師の反感を買う(『三国志』)。

主な出典
『三国志』魏書 和常楊杜趙裴伝第二十三(裴松之注に孫盛の評を含む)。『三国志演義』には登場しない。

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

規律4のため秩序。兵の反乱も処罰を首謀者に限り、統率を回復させた。

諸将の対立を鎮め、軍の統一を保つことを重んじた。動機は善として扱います。ただし、兵を欺いて千人を留めた策は、後世に信義を欠くと批判された。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。