三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

裴秀

製図六体を定め、司馬炎の世継ぎ争いを決めた晋の地図の祖

裴秀は、字を季彦といい、河東郡聞喜県の人です。曹爽に仕えたのち司馬昭の幕僚となり、諸葛誕の乱の平定に関わります。司馬昭の世継ぎ争いでは、司馬炎を立てるよう強く勧めました。晋の成立では尚書令として魏から晋への禅譲に中心的な役割を果たし、司空に進みます。地図を作り、縮尺や方位の基本を定めた「製図六体」でも知られます。271年、寒食散(五石散)を飲んだ際の誤りがもとで、48歳で亡くなりました。経歴は『晋書』をもとにしています。

字は季彦。河東郡聞喜県の人で、父は裴潜。幼い頃から学問を好んだ。毌丘倹の推挙で曹爽の掾となり、244年に父が没すると爵位を継いだが、財産は兄弟に譲った。249年、曹爽が処刑されて免職となったが、のち廷尉正として復職した。司馬昭の司馬となり、軍政について進言して多くが採用された。曹髦に敬愛され、討論会に加わって「儒林丈人」と称された。257年の諸葛誕の乱では親征に同行した。264年、司馬昭の世継ぎとして司馬炎を立てるよう強く勧め、司馬炎が世子となった。265年、司馬炎が晋王を継ぐと尚書令となり、同年の魏から晋への禅譲で中心的な役割を果たして鉅鹿公に封じられた。268年、司空に進んだ。271年に没した。

THE WAY OF LIFE

裴秀の生き方

地図に打ち込んだ。『禹貢地域図』十八篇を作り、縮尺・方位・距離などの基本を定めた製図法「製図六体」を考えた。絹八十匹分もの巨大な『天下大図』を縮め、持ち運べる『地形方丈図』にもまとめたと伝わる。中国の地理学の歴史に大きく貢献したとされる。

司馬昭の世継ぎ争いでは、司馬炎を立てるよう強く勧めた。司馬炎は不安のあまり、裴秀に「人には高貴となる相というものがあるのだろうか」と尋ねたと伝わる。

持ち味と、その裏側

学問と制度の整備。地図の製作に加え、朝廷の儀礼を創り、五等爵の復活の建議にも関わった。儒学に通じ、『易経』『楽経』についての論文も著した。一方、官有の稲田の横領を指示したとして李憙に弾劾されたが、司馬炎がかばって罪には問われなかった。発明家の馬鈞を議論で言い負かして吹聴し、傅玄から咎められた逸話も残る。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

224年〜271年(享年四十八)

河東郡聞喜県の人。字は季彦。父は裴潜。

  1. 幼少: 学問を好み、八歳で文章を作った。叔父の裴徽を訪れる客が、十余歳の裴秀にも会って帰ったため、「後進の領袖に裴秀あり」と言われた。
  2. 曹爽に仕える: 毌丘倹の推挙で曹爽の掾となる。244年、父・裴潜が没し、爵位を継いだ。財産は兄弟に譲った。何晏に任用され、賈充らとともに黄門侍郎となった。
  3. 249年: 高平陵の変で曹爽が処刑され、故吏として免職される。のち廷尉正として復職する。
  4. 司馬昭の幕僚の頃: 司馬昭の司馬となり、軍政の進言が多く採用される。曹髦に敬愛され、「儒林丈人」と称された。
  5. 257年: 諸葛誕の乱で親征に同行し、乱の平定後に尚書・魯陽郷侯となる。
  6. 264年: 司馬昭の世子問題で、司馬炎を立てるよう強く勧める。官制の改革と五等爵の復活の建議にも関わり、済川侯に封じられる。
  7. 265年: 司馬炎が晋王を継ぐと尚書令・光禄大夫となる。同年12月の魏から西晋への禅譲で中心的な役割を果たし、鉅鹿公となった。
  8. 268年: 司空に進む。
  9. 271年: 没した。寒食散(五石散)を服用した際、温めて飲むべき酒を、誤って冷酒で飲んだことが死因とされる。寒食散は、何晏が流行させたと伝わる薬である。尚書三十六曹の整理の構想は上奏できないまま没したが、呉の討伐を訴える草稿が遺され、死後に司馬炎へ届けられた。司馬炎は「危うい時にも王室を忘れなかった」と称えた。

主な出典
『晋書』裴秀伝。経歴は Wikipedia「裴秀」の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・中立

魏から晋への体制の移行を支え、制度や儀礼の整備に力を注いだことから、規律は秩序寄りに置いています。

司馬炎の擁立と禅譲を支えて地位を得た一方、学問と制度の整備にも力を尽くしたことから、動機は中立に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。