三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

袁譚

後継を外されても、居場所を自分の手で築いた人

袁譚は、袁紹の長男として生まれながら、後継を弟に奪われた人物です。青州では孔融の北海を攻め落とし、名士を尊重して劉備を迎えました。『典論』は「譚は長じて恵あり」と評しています。ここでは、居場所を求めて戦い続けた強さと、人を迎える懐の広さを、性格を読み解く手がかりとしています。

袁紹の長男。後継から外されて青州へ出され、父の死後は弟の袁尚と争って、曹操に討たれた。

THE WAY OF LIFE

袁譚の生き方

自分の立場が揺らぐと、動かずにはいられない。袁譚は、行動力と、人を迎える懐の広さを併せ持つ人物像です。

父にも弟にも頼れず、居場所を自分の手で作ろうとした。手を打つ速さと挑戦の高さ、規律の低さに、その焦りを重ねています。

持ち味と、その裏側

逆境でも自分の勢力を広げる行動力と、名士や客人を丁重に迎える懐の広さ。一方で、立場への不安から手を広げすぎやすいため、足場を固めてから動くことも大切です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜建安10年(205年)

豫州汝南郡汝陽県の人。字は顕思。袁紹の長男。

  1. 袁紹の長男。字は顕思。『典論』は「譚は長じて恵あり、尚は少くして美なり」と評する。袁紹は袁譚を退けて、兄の袁基の後を継がせ、青州へ出した(審配が袁譚に送った書による)。
  2. 青州では、田楷や孔融を攻めて平定し、青州刺史となった。『後漢書』孔融伝によれば、建安元年(196年)、北海の孔融は袁譚に攻められ、春から夏まで持ちこたえたが、戦える兵は数百人にまで減り、城は夜に陥落した。孔融は東山へ逃れ、妻子は袁譚に捕らえられた。名士を尊重し、劉備を丁重に迎えたが、統治は荒れたとされる。
  3. 建安5年(200年)、官渡の戦いで父に従った。烏巣の救援を主張したが、袁紹軍は敗れ、父とともに黄河を渡って引き揚げた。
  4. 建安7年(202年)、袁紹が病没した。衆は長男の袁譚を立てようとしたが、審配らは「袁譚が立てば辛評らに害される」と恐れ、袁紹の素意に沿うとして袁尚を立てた。袁譚は後を継げず、車騎将軍を自称して、袁尚と不和になった。
  5. 黎陽に出陣したが、袁尚は少ない兵しか与えず、逢紀を付けた。袁譚が増兵を求めても、審配らは認めなかった。袁譚は怒り、逢紀を殺した。
  6. 曹操に黎陽で敗れたあと、袁譚は「いま曹操軍は帰りたがっている。追撃すべきだ」と袁尚に兵と鎧を求めたが、袁尚は聞かなかった。怒った袁譚は、郭図・辛評の入れ知恵(「袁紹が将軍を兄の養子にしたのは審配の策略だ」)で、袁尚を攻めて敗れ、南皮へ退いた。別駕の王修は「兄弟は左右の手のようなものだ」と諫めたが、袁譚は聞き入れなかった。
  7. 袁尚に攻められて平原に逃れ、辛毗を曹操への使者に送って救援を求めた。劉表は袁譚と袁尚の双方に書を送り、兄弟の和解を勧めたが、二人とも従わなかった(『魏氏春秋』)。
  8. 曹操が救援に来ると、袁譚は袁尚の将の呂曠・呂翔に、ひそかに将軍印を刻んで与え、味方に引き込んだ。曹操は袁譚の企みを知り、子の曹整を袁譚の娘と婚約させて安心させ、軍を引いた。
  9. 建安9年(204年)、曹操が鄴を囲むと、袁譚は盟約に背いて、甘陵・安平・勃海・河間を攻め取り、中山の袁尚を攻めた。袁尚は故安の袁熙のもとへ逃れ、袁譚はその軍勢を取り込んだ。
  10. 同年12月、曹操に攻められて南皮へ逃れ、建安10年(205年)正月に敗死した。『後漢書』は、落馬した袁譚が「おい、私を見逃してくれ。お前を富貴にしてやる」と叫んだが、言い終えぬうちに首を落とされたと記す。『三国志』曹純伝は、曹純の麾下の騎兵が譚の首を斬った、と記す。郭図らも斬られ、妻子も殺された。王修は罪を恐れず、遺体の埋葬を願い出た。
  11. 『三国志演義』では、無能な武将として描かれ、南皮の戦いでは曹洪に討たれる。

主な出典
『三国志』魏書 袁紹伝(裴松之注に引く『典論』『魏氏春秋』『漢晉春秋』を含む)、『後漢書』袁紹劉表列伝

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・中立

後継争いで同盟や約束を変えていった経緯から、規律は裁量寄りとしています。

後継から外された立場を取り戻そうとする一方で、名士や客人を丁重に迎えた姿もあり、動機は中間に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。