三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

衛瓘

鄧艾を捕らえて蜀の乱を収め、賈南風に殺された晋の重臣

衛瓘は、字を伯玉といい、司隷河東郡安邑県の人で、魏の尚書令・衛覬の子です。景元4年(263年)、司馬昭の命で鄧艾と鍾会の蜀征伐を監督し、鍾会に訴えられた鄧艾・鄧忠の父子を夜のうちに捕らえて洛陽へ護送しました。鍾会の謀反が発覚すると、胡烈らとともに反乱を平定します。西晋では司空・太保を務めましたが、衛瓘は皇太子の司馬衷(のちの恵帝)の資質を疑い、宴席で武帝の座を撫でて廃嫡を暗に勧めたといい、妃の賈南風に恨まれたと伝わります。元康元年(291年)、賈南風の策で、楚王司馬瑋に子や孫ら九人とともに殺されました。経歴は『晋書』衛瓘伝と『三国志』魏書 鄧艾伝・鍾会伝をもとにしています。

魏から西晋に仕えた重臣。蜀の平定に監軍として加わり、鄧艾を捕らえ、鍾会の乱を収めた。西晋では司空・太保を務めたが、291年に賈南風の策で、楚王司馬瑋に殺された。

THE WAY OF LIFE

衛瓘の生き方

混乱のなか、一夜で鄧艾の軍を押さえた。衛瓘は、状況を見て素早く動く人物像です。

皇太子の資質を疑いながら、はっきり言い切らなかった。慎重さが、のちに身を滅ぼしたとも読めます。

持ち味と、その裏側

混乱の中でも、一夜で軍を掌握する決断と統率。国の制度を整える進言もした実務の力。一方で、鄧艾の殺害で世間の非難を受け、皇太子の廃嫡を最後まで言い切れなかったことが、晩年の災いにつながった人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

黄初元年(220年)〜元康元年(291年)

司隷河東郡安邑県の人。字は伯玉。父は衛覬、弟は衛寔。

  1. 司隷河東郡安邑県の人で、字は伯玉。父は魏の尚書令の衛覬。十歳ごろに父を亡くし、母に孝行を尽くした。父の爵位を継いだ。
  2. 尚書郎、通事郎、中書郎と進み、中書郎は十年務めた。曹爽ら権臣とは親しくせず、傅嘏に重んじられた。
  3. 景元元年(260年)、曹奐の即位後に侍中となり、持節を帯びて河北を慰労した。のち廷尉卿となった。
  4. 景元4年(263年)、司馬昭の命で、鄧艾と鍾会の蜀征伐を監督した。蜀の平定後、鍾会は鄧艾を陥れようとして、衛瓘に訴えた。衛瓘は同意して上奏した。鄧艾捕縛の詔が下ると、衛瓘は夜のうちに鄧艾軍の諸将を押さえ、鄧艾・鄧忠の父子を捕らえて洛陽へ護送した。
  5. 鍾会の謀反が発覚すると、胡烈・胡淵とともに反乱を平定し、鍾会を滅ぼした。護送中の鄧艾を部下が救おうとすると、田続を通じて鄧艾父子を殺させた。朝廷は衛瓘の功を賞したが、鄧艾父子の殺害は、世間の非難を招いた。
  6. 265年、西晋が成立すると、衛瓘は征東将軍となり、菑陽公に進んだ。269年に青州、271年に幽州の都督・刺史を務めた。幽州では、烏桓と拓跋部の対立を利用して烏桓を帰順させ、拓跋部の勢力を削いだ。
  7. 咸寧4年(278年)に尚書令・侍中、太康4年(283年)に司空となった。九品官人法の廃止と郷里選挙の復活を、司馬亮らとともに上疏した。
  8. 衛瓘は、皇太子の司馬衷(のちの恵帝)の資質を疑っていた。ある宴席で、酔ったふりをして武帝の座を撫で、「この座は惜しまれます」と、廃嫡を暗に勧めた。武帝は「公は本当に酔っているな」とかわし、衛瓘はそれ以上、言わなかった。この一件で、司馬衷の妃の賈南風は衛瓘を恨んだと伝わる。
  9. 永熙元年(290年)、衛宣の離婚をきっかけに政務を離れ、太保となった。元康元年(291年)3月、楊駿の誅殺後に録尚書事として復帰し、司馬亮とともに朝政を補佐した。しかし、楚王司馬瑋の横暴を抑える試みは失敗し、かえって反発を招いた。
  10. 賈南風は、司馬亮と衛瓘を除くことを決め、詔書を偽造した。司馬瑋は北軍を動かし、衛瓘は抵抗せず逮捕された。栄晦が私怨から衛瓘と、その子や孫ら九人を殺した。司馬亮も殺された。
  11. のち衛瓘の娘の上書などにより、名誉が回復された。蘭陵郡公に追封され、諡は「成」となった。栄晦は一族ごと誅殺された。孫の衛璪と衛玠は、医者の家にいたため、難を免れた。

主な出典
『晋書』衛瓘伝、『三国志』魏書 衛覬伝・鄧艾伝・鍾会伝

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・中立

朝廷の命と制度を重んじて動いた記録から、規律は秩序寄りとしています。

国家の安定のために動いた記録が多い一方で、保身や私怨とも読める場面があるため、動機は中間に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。