三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

蘇則

河西の乱を鎮め、曹丕の前でも直言をやめなかった剛直の臣

蘇則は、字を文師といい、司隷扶風郡武功の人です。悪を憎む剛直な人柄で、前漢の汲黯を慕いました。酒泉・安定・武都の太守を歴任し、荒れた金城郡では民と食糧を分け合って立て直します。延康元年(220年)、河西で反乱が広がると、出兵を禁じる詔に背いてでも兵を出し、麴演・張進を討って河西を平定しました。侍中となってからも、董昭の枕になることを拒み、狩りで逃げた鹿のために役人を斬ろうとする曹丕を止めて、「卿は直臣である」と言われました。経歴は『三国志』魏書 任蘇杜鄭倉伝(蘇則伝)をもとにしています。

涼州の太守を歴任し、荒れた金城郡を立て直して、河西の乱を鎮めた。曹丕の侍中となっても直言をやめず「直臣」と呼ばれたが、疎まれて左遷され、任地へ向かう途中で没した。

THE WAY OF LIFE

蘇則の生き方

言うべきことは、相手が帝でも言う。蘇則は、剛直さと行動力を兼ね備えた人物像です。

乱れた辺境では自ら兵を率い、宮中では言葉で帝を止めた。決断の早さと、信条の強さ、表現のまっすぐさに、その生き方を重ねています。

持ち味と、その裏側

辺境の混乱を自ら収める行動力と、帝の前でも曲げない直言。金城の立て直しや河西の平定は、太守の枠を超えた智勇の表れでした。一方で、言葉の強さは主君に疎まれ、左遷される原因にもなりました。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜黄初4年(223年)

司隷扶風郡武功県の人。字は文師。前漢の蘇建の子孫とされる扶風の名族の出。若くして学問と品行で知られ、孝廉・茂才に挙げられたが応じなかった。

  1. 剛直で悪を憎み、前漢の汲黯を慕った。興平年間、三輔の大乱で北地・安定へ逃れ、のちに太白山に隠れて書物を友とした。孝廉・茂才に挙げられ、三公の府にも招かれたが、いずれも応じなかった。
  2. 酒泉太守を振り出しに、安定・武都の太守を歴任し、どこでも威名をあらわした。建安20年(215年)、張魯を討つ曹操が武都を通ったとき、気に入られて道案内を務めた。その後、下辯の氐族を鎮め、河西への道を開いて、金城太守となった。
  3. 金城は韓遂の乱で荒れ果て、戸数は五百にも満たなかった。蘇則は羌族・胡族を招いて得た牛や羊で貧しい老人を養い、自らも民と食糧を分け合った。一月ほどで流民が数千家戻り、禁令を明らかにして、自ら耕作を教えると、その年は大豊作になったという。
  4. 延康元年(220年)、曹操が没すると、西平の麴演が背いたが、蘇則が兵を向けると降った。まもなく麴演は周りの郡と結んで再び乱を起こし、張掖の張進、酒泉の黄華も太守を退けてこれに応じた。将軍の郝昭・魏平は、詔によって西へ渡れなかった。蘇則は「賊は寄せ集めで、今討てば善人はこちらにつく。大軍を待てば、善悪が固まってしまう。詔があっても、理にかなえば専断してよい」と説いて、兵を出した。
  5. 蘇則は武威を救い、張掖の張進を討ちにかかった。麴演が助けると称して三千の兵で近づくと、蘇則はこれを誘い出して斬った。続いて張掖を破って張進を斬り、黄華も降って、河西は平定された。この功で都亭侯に封じられた。
  6. 侍中となり、董昭と同僚になった。董昭が蘇則の膝を枕にして寝ると、蘇則は押しのけて「蘇則の膝は、佞人の枕ではない」と言った。漢が魏に禅ったときには、曹植とともに喪服を着て泣いていた。のちに曹丕が「泣いた者がいると聞く」と言うと、蘇則はひげを逆立てて反論しかけ、傅巽につねられて止められた。
  7. 曹丕が「敦煌から献じられた大きな真珠を、市でもっと買えないか」と問うと、蘇則は「陛下の徳が沙漠まで届けば、求めずとも来ます。求めて得たものは、貴ぶに足りません」と答えた。狩りで柵が破れて鹿が逃げ、怒った曹丕が役人を斬ろうとすると、蘇則は「古の聖王は、獣のために人を害さなかった」と死を賭して諫め、曹丕は「卿は直臣である」と言って皆を許した。しかし、これで疎まれるようになった。
  8. 黄初4年(223年)、東平相(河東相とも)に左遷され、任地へ向かう途中で病没した。剛侯と諡された。陳寿は「威をもって乱を平らげ、政事にすぐれ、しかも剛直で、その風烈は称えるに足る」と評している。

主な出典
『三国志』魏書 任蘇杜鄭倉伝(蘇則伝)と、その裴松之注(『魏略』『魏名臣奏』『魏書』)

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

法と筋を重んじながら、詔に背いてでも民を救う道を選んだ姿から、規律は秩序寄りに置きつつ、最上にはしていません。

民と食糧を分け合い、帝の機嫌より正しさを選ぶ姿から、動機は他者のためへ強く置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。