三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

蔡邕

董卓に仕え、その死に嘆いて獄に倒れた後漢の大学者

蔡邕は、字を伯喈といい、兗州陳留郡圉県の人で、蔡琰の父です。母が病んだときは3年にわたって看病し、孝行で評判になりました。辞章や算術、天文を好み、琴や書にも優れ、熹平4年(175年)には、六経の文字の校訂を願い出て、洛陽の太学の門外に石碑が立てられます(熹平石経)。光和元年(178年)に宦官の専横を批判して朔方へ流され、のち12年の間、各地を転々としました。189年に董卓に召され、左中郎将にまでのぼります。192年に董卓が討たれると、その死を嘆いたことを王允に咎められて廷尉に下され、獄中で亡くなりました。経歴は『後漢書』蔡邕列伝をもとにしています。

陳留郡圉県の人。琴と書に優れた学者で、熹平石経の文字を自ら書いたと伝わる。宦官を批判して流罪になり、のちに董卓に召された。董卓が討たれた時に嘆息したため、王允に投獄され、獄中で亡くなった。

THE WAY OF LIFE

蔡邕の生き方

書と琴と学問に生き、文章で世を動かした。蔡邕は、構想と信条、そして表現の高い人物像です。

言葉は強いが、行動は慎重。表現の高さと、決断・挑戦の低さに、その学者らしい姿を重ねています。

持ち味と、その裏側

天文・算術・音律に通じ、書や文章にも優れていた。熹平石経の校訂や、『後漢書』に残る多数の著作が、その学識を示します。一方で、董卓に近づいたことが、最期の災いとなりました。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

永建7年(132年)または陽嘉2年(133年)〜初平3年(192年)

兗州陳留郡圉県の人。字は伯喈。娘は蔡琰(蔡文姫)。

  1. 兗州陳留郡圉県の人。母が病んだ時には、3年にわたって看病を続けた。母の死後は、墓のそばに庵を結んだ。孝行は評判になったと伝わる。
  2. 辞章や算術、天文を好み、音律にも通じた。琴の名手としても知られ、書でも名を成した。
  3. 熹平4年(175年)、ほかの学者とともに、六経の文字の校訂を願い出た。許されて、洛陽の太学の門外に、石碑が立てられた(熹平石経)。篆書は、蔡邕の自筆とされる。
  4. 光和元年(178年)、宦官の専横を厳しく批判する上奏をした。内容が曹節に漏れて、恨みを買い、罪に問われて朔方に流された。のちに赦されたが、身の危険を避けて、揚州に逃れた。12年の間、各地を転々とした。
  5. 中平6年(189年)、董卓に召された。初めは病と称して断ったが、董卓が怒ったため、洛陽へ出向いた。短期間のうちに、左中郎将にまでのぼった。
  6. 初平3年(192年)、王允が董卓を討った。蔡邕は、董卓の死を聞いて、嘆息した(慨然として顔色を変えた)と伝わる。王允はこれを咎めて、廷尉に下した。
  7. 蔡邕は、刑の代わりに『漢史』の続成を願ったが、許されなかった。そのまま獄中で亡くなった。『三国志演義』では、董卓の遺体にすがって泣く場面として描かれている。

主な出典
『後漢書』蔡邕列伝、『三国志』魏書 董卓伝、『三国志演義』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・中立

漢の礼や制度を重んじて、書き残そうとした姿から、規律は高めに置いています。

学問と文章を、国のために使おうとした点で、動機は中間に置いています。董卓への態度は、恩義と学者の立場のあいだで揺れていました。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。