CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
蔡琰
乱世の痛みを、詩に刻んだ才女
蔡琰は、字を昭姫(のち文姫)といい、蔡邕の娘です。博学で、音楽にも通じていたと伝わります。夫に早く先立たれたのち、興平年間(194〜195年)の混乱のなかで匈奴に連れ去られ、南匈奴の左賢王のもとで12年を過ごし、2人の子を産みました。建安12年(207年)、曹操が金と宝を払って呼び戻し、のちに董祀の妻となります。曹操に請われて、父の蔵書400篇あまりを記憶から書き起こして復元し、誤字脱字は一字もなかったといいます。乱世の悲しみを詠んだ「悲憤詩」が伝わります。経歴は『後漢書』列女伝をもとにしています。
蔡邕の娘で、博学の才女。乱で匈奴に連れ去られ、のち曹操に迎えられて詩と文章を残した。
THE WAY OF LIFE
蔡琰の生き方
つらい出来事を抱えながらも、言葉にして残すことで向き合っていく。蔡琰は、深い感受性と、静かな芯の強さを併せ持つ人物像です。
父の書物を記憶から書き起こす根気と、痛みを詩に刻む誠実さ。信条と規律の高さを、その姿に重ねています。
持ち味と、その裏側
記憶と学識の確かさと、痛みを言葉にして人に伝える力。一方で、つらさを一人で抱え込みやすいため、気持ちを分かち合える相手を持つことも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜魏)
字は昭姫(のち文姫)。兗州陳留郡圉県の人。蔡邕の娘。
- 博学で名高い蔡邕の娘。音楽にも通じていたと伝わる。
- 河東の衛仲道に嫁いだが、夫に早く先立たれた。
- 興平年間(194〜195年)、董卓配下の混乱の中で匈奴に連れ去られ、南匈奴の左賢王のもとで12年を過ごし、2人の子を産んだ。
- 建安12年(207年)、曹操が金と宝を払って呼び戻した。のちに屯田都尉の董祀の妻となった。
- 曹操に請われ、父の蔵書400篇あまりを記憶から書き起こして復元したが、誤字脱字は一字もなかったという。「悲憤詩」が伝わる。『胡笳十八拍』は後世の作という説がある。
主な出典
『後漢書』列女伝
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
学問と記録を、一字一句ていねいに守る姿から、規律は秩序寄りとしています。
家族や父の遺した書物を守ろうとする姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。