CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
董昭
献帝を許へ迎える道筋を描き、曹操を魏公へ押し上げた策士
董昭は、字を公仁といい、兗州済陰郡定陶の人です。はじめ袁紹に仕えましたが、讒言を恐れて離れ、河内の張楊のもとで曹操と朝廷をつなぎました。建安元年(196年)、曹操の名で楊奉に書簡を送って味方につけ、献帝を許へ移す策を説きます。のちに曹操の魏公・魏王への昇進を進め、樊城の戦いでは孫権の密書をわざと関羽に知らせる策を献じました。曹丕・曹叡にも仕えて司徒に至り、81歳で没しました。経歴は『三国志』魏書 董昭伝をもとにしています。
袁紹・張楊を経て曹操に仕えた謀臣。献帝を許へ移す策を説き、曹操の魏公・魏王への昇進を推し進めた。曹丕・曹叡にも仕え、司徒に至った。
THE WAY OF LIFE
董昭の生き方
先の盤面を読み、言葉と書簡で人を動かす。董昭は、大きな流れを描いて、それに合わせて手を打つ策士の人物像です。
主を替えることもいとわず、その時々で最も効く一手を選んだ。構想の高さと、信条の柔らかさに、その身の処し方を重ねています。
持ち味と、その裏側
情勢を先読みし、文書や根回しで事を運ぶ構想力。献帝の移送や曹操の昇進、樊城での密書の扱いのように、大きな転換を形にしました。一方で、曹操の権勢を高める献策は荀彧との対立にもつながり、後世には「謀略は荀彧・荀攸に劣らないが、人品は称えるに足りない」とも評されました。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
延熹9年(156年)〜青龍4年(236年)
兗州済陰郡定陶県の人。字は公仁。孝廉に挙げられ、癭陶県長・柏人県令を務めた。弟に董訪、子に董冑がいる。
- 孝廉に挙げられ、癭陶県長・柏人県令を務めた。袁紹の参軍事となり、初平3年(192年)、袁紹と公孫瓚が界橋で戦ったとき、公孫瓚に通じようとする鉅鹿郡を任された。袁紹の名で偽の檄文を作り、首謀者の孫伉ら数十人を斬って、郡を鎮めた。続いて魏郡太守を代行し、賊どうしの行き来を逆に間者に使って、これを破った。
- 初平4年(193年)、弟の董訪が、袁紹と不仲の張邈の陣営にいたことから、袁紹は讒言を信じて董昭を罰しようとした。董昭は献帝のもとへ向かう名目で離れたが、河内で張楊に留められ、騎都尉となった。
- 曹操が使者を長安へ通そうとしたとき、張楊を「袁氏と曹氏はいずれ分かれる。曹操は今は弱くとも天下の英雄だ」と説いて、使者を通させた。曹操の名で、李傕・郭汜ら長安の諸将にも書簡を送った。
- 建安元年(196年)、献帝が洛陽に戻ると、董昭は、兵は強いが後ろ盾のない楊奉に、曹操の名で「将軍は内を、私は外を。私には兵糧があり、将軍には兵がある」と書簡を送った。楊奉は喜んで、曹操を鎮東将軍に推した。洛陽に来た曹操に、董昭は献帝を許へ移すよう説き、楊奉には「都に食糧がないので、許に近い魯陽へしばらく移る」と伝えて油断させた。こうして献帝は許へ移った。
- 河南尹となり、建安4年(199年)には、張楊の死後に籠城した薛洪・繆尚のもとへ一人で入って、即日降伏させた。曹操が劉備に袁術を防がせようとしたときには「劉備は勇ましく志が大きい。関羽・張飛が翼となっている」と止めたが、劉備は下邳で背いた。冀州牧・徐州牧・魏郡太守を歴任し、建安12年(207年)の烏桓遠征では、運河を掘って兵糧を運ぶ策を出した。
- 建安17年(212年)、曹操を国公に進めるべきだと、荀彧に書簡を送った。荀彧はこれに反対し、まもなく寿春で没した。翌年、曹操は魏公となり、のちに魏王となった。陳寿は、いずれも董昭の発議によると記す。
- 建安24年(219年)、関羽が樊城の曹仁を囲んだとき、孫権から、関羽の背後を討つので内密にしてほしいという書簡が届いた。董昭は、表向きは承知しつつ、わざと漏らすべきだと説いた。書簡は城内と関羽の陣に射込まれ、城内の士気は上がり、関羽は迷って退かず、孫権に江陵・公安を奪われた。
- 曹丕が即位すると、大鴻臚・侍中となった。黄初3年(222年)、江陵を攻める夏侯尚が、長江の中洲に陣を移して浮橋で往来しようとすると、董昭は「深く入りすぎ、浮橋は危うく、道は一つしかない。どれも兵家の忌むところで、水が増せば防ぎようがない」と上疏した。曹丕はすぐ撤退を命じ、十日ほどして江は大いに増水した。曹丕は「張良・陳平でもこれ以上はない」と称えた。
- 曹叡の代に衛尉となり、太和6年(232年)、司徒となった。若い名士たちが互いに評判を高め合う「浮華」の風を厳しく批判する上疏をし、諸葛誕・鄧颺らが免職された。青龍4年(236年)、81歳で没し、定侯と諡された。
- 侍中の同僚だった蘇則の膝を枕にして寝たところ、蘇則に「蘇則の膝は、佞人の枕ではない」と押しのけられた話が『三国志』に残る。陳寿は、程昱・郭嘉・董昭・劉曄・蔣済を「世の奇士」とし、徳では荀攸に及ばないが、策謀では同じ類だと評した。
主な出典
『三国志』魏書 程郭董劉蔣劉伝(董昭伝)、同 蘇則伝、同 武帝紀
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:真なる中立
決まりを守るより、局面に合わせて筋道を組み替える姿から、規律は中間に置いています。
仕える相手の権勢を固める献策が多く、その中で自分の地位も築いたため、動機は中ほどに置いています。
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