CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
華歆
清貧を貫き、時勢にも逆らわなかった老臣
華歆は、字を子魚といい、青州平原郡高唐県の人で、若いころ、邴原・管寧とともに「一龍」と称されました。孝廉に推挙されたのち、何進に召されて尚書郎となり、豫章太守では簡潔で公正な統治で敬われます。199年に孫策が攻めてくると、頭巾をつけた隠士の姿で出迎えて降伏しました。のち曹操の招きで中央に出て、曹丕の即位後は司徒、226年に太尉となります。俸禄や恩賞は親族に分け与え、家に蓄えを残さなかったといいます。管寧が席を割いて絶交した「割席」の話は『世説新語』にあります。経歴は『三国志』魏書 華歆伝をもとにしています。
後漢から魏に仕えた名臣。管寧と同門で学び、孫策・曹操・曹丕に仕えて、魏の太尉に至った。
THE WAY OF LIFE
華歆の生き方
金や名声に動じず、静かに職を務める。華歆は、清廉な誠実さと、時勢を見て身を処す柔軟さを併せ持つ人物像です。
大きな賭けはしないが、務めは確かに果たす。決断と挑戦の低さと、規律の高さに、その穏やかな慎重さを重ねています。
持ち味と、その裏側
私欲を抑えて、公正に職務を果たす清廉さと、乱世でも主君を替えながら生き延びる現実感覚。一方で、自分から大きく動かず、時勢に従う面が、評価を分けます。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
永寿3年(157年)〜太和5年12月(232年1月)
青州平原郡高唐県の人。字は子魚。若いころ、邴原・管寧とともに『一龍』と称された。
- 孝廉に推挙されて郎中となったが、病のため辞職した。189年に何進に召され、尚書郎となった。
- のち袁術のもとにとどまり、馬日磾の属官を経て、詔により豫章太守となった。簡潔で公正な統治で、人々から敬われた。
- 199年、孫策が攻めてくると、頭巾をつけた隠士の姿で出迎え、降伏した。孫策から客として礼遇されたと伝わる。
- 孫権の時代に、曹操の招きで中央に出て、議郎から尚書令などを歴任した。
- 『世説新語』には、管寧と一緒に畑を耕していて金を見つけたとき、管寧は見向きもせず、華歆は拾って捨てた話や、貴人の車が通ると本を置いて見に出た話があり、管寧が席を割いて絶交したという(割席)。
- 『曹瞞伝』には、214年の伏皇后の事件で、兵を率いて壁の中に隠れていた皇后を引き出した、という記述がある。『三国志』華歆伝には見えない。
- 220年に魏の相国、曹丕の即位後は司徒、226年に太尉となり、博平侯に封じられた。俸禄や恩賞は親族に分け与え、家に蓄えを残さなかったという。
- 230年、曹叡の蜀への侵攻計画に、反対の意見を述べた。232年1月に亡くなった。享年は75とされる。
- 『三国志演義』では、伏皇后を引き出す悪役、曹植を陥れる進言、献帝への禅譲の強要を担う冷酷な人物として描かれる。
主な出典
『三国志』魏書 華歆伝・同注引『魏略』『曹瞞伝』、『世説新語』、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・中立
朝廷の官職と手続きの中で、堅実に務めを果たす姿から、規律は秩序寄りとしています。
私財を分け与える清廉さと、時勢に身を任せる面の両方が伝わるため、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。