CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
簡雍
劉備の幼なじみ。冗談で禁酒令をゆるめ、劉璋を降伏に導いた談客
簡雍は、劉備と同じ涿郡の出身で、若いころから行動をともにした古い仲間です。荊州でも益州でも談客として使者を務め、成都では劉璋に降伏を勧めて、同じ輿に乗って城を出ました。劉備の前でも寝そべって話すほど気ままな人で、禁酒令の際には冗談一つで劉備を笑わせ、酒づくりの道具を持つ者を赦させたと伝わります。経歴は『三国志』蜀書 簡雍伝などをもとにしています。
字は憲和。幽州涿郡の人で、本姓は耿。幽州では「耿」を「簡」と発音したため、簡と改めたという。若いころから劉備と旧知で、劉備に従って各地を転々とした。劉備が荊州に身を寄せると、糜竺・孫乾とともに従事中郎となり、談客として使者の役を務めた。益州では劉璋に気に入られ、のちに劉備が成都を囲むと、使者として城に入って降伏を説き、劉璋と同じ輿に乗って出降した。劉備は簡雍を昭徳将軍に任じた。気ままな性格で、劉備の前でも足を投げ出して寄りかかり、諸葛亮らの前でも一人だけ長椅子に寝そべって語ったと伝わる。
THE WAY OF LIFE
簡雍の生き方
劉備とは古くからの仲で、乱世のあいだずっと傍らにいた。主君の前でも肩ひじを張らず、言いにくいことを冗談にして伝えられる人だった。
城を開かせる使者も、笑いで主君を動かす役も、どちらも言葉で人の心を動かす仕事だった。気ままな振る舞いのまま、主君のそばで役目を果たし続けた。
持ち味と、その裏側
言葉で相手の肩の力を抜かせる力と、旧友だから言える率直さ。劉璋の降伏も、禁酒令の一件も、争わずに事を収めた。一方で、威儀を正さない振る舞いは、正史でも「簡傲」(気ままで偉ぶらない)として記されている。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜三国時代)
幽州涿郡の人。本姓は耿で、幽州の発音にならって簡と改めたと伝わる。字は憲和。
- 同じ涿郡の出身で、若いころから劉備と旧知の仲だった。以後、劉備に従って各地を回った(『三国志』簡雍伝)。
- 劉備が荊州に身を寄せると、糜竺・孫乾とともに従事中郎となり、談客として使者の役を務めた。
- 劉備が益州に入ると、劉璋は簡雍を気に入った。のちに劉備が成都を囲むと、使者として城に入って降伏を勧め、劉璋と同じ輿に乗って城を出た。
- 劉備は簡雍を昭徳将軍に任じた。気ままな性格で、劉備の前でも足を投げ出して寄りかかり、諸葛亮らの前では一人だけ長椅子に寝そべって語ったと伝わる。
- 旱魃で禁酒令が出ていたころ、酒をつくる者は罰せられ、酒づくりの道具を持つだけで同罪にしようとする議論があった。簡雍は劉備と出歩いていて、道を行く一人の男を見て「あの男は不埒を働こうとしています。なぜ縛らないのですか」と言った。理由を問われると「道具を持っています。酒をつくろうとする者と同じです」と答え、劉備は大笑いして、酒づくりの道具を持つ者を赦した。
- 没年について、正史は記していない。
主な出典
『三国志』蜀書「許麋孫簡伊秦伝」(簡雍伝)。経歴は Wikipedia「簡雍」の記述も参照しています。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
決まりの場でも寝そべって話すなど、形にとらわれない振る舞いが目立つことから、規律は混沌寄りに置いています。
劉備の古い友人として、主君のために使者や説得の役を務めたことから、動機は中立(主君のため)に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。