三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

穆皇后

劉瑁の妻から劉備の皇后へ。蜀の内廷を二十余年守った皇太后

穆皇后は、姓を呉、名を莧といい、劉備の皇后となった人です。兄は蜀の将軍・呉懿で、一家は劉焉に従って益州へ移り、のちに劉焉の子・劉瑁の妻になりました。劉瑁の死後、劉備が益州を平定すると、群臣の勧めで劉備の夫人となり、漢中王后、皇后、皇太后と進みます。経歴は『三国志』蜀書 二主妃子伝などをもとにしています。

姓は呉、名は莧。兗州陳留郡の人。早く父を失ったが、父が劉焉と旧交だったことから、母や兄の呉懿らと益州へ移った。劉焉はやがて人相見から「大いに貴くなる」と告げられ、同行していた三男の劉瑁の妻に迎えた。劉瑁が早く亡くなり、呉氏は未亡人となった。建安19年(214年)、劉備が成都に入ると、群臣が呉氏を娶るよう勧めた。劉備は劉瑁と同族であることをためらったが、法正が晋の文公と子圉の例より遠い間柄だと説き、夫人に立てた。建安24年(219年)に漢中王后、章武元年(221年)に皇后、劉禅が即位した223年に皇太后となり、長楽宮に住んだ。延熙8年(245年)8月に没し、劉備の恵陵に合葬された。諡は穆。

THE WAY OF LIFE

穆皇后の生き方

益州に来たときは、兄や一族とともに劉焉に従っただけの、ひとりの娘だった。夫を亡くし、主君が代わり、住む宮が変わっても、そのたびに新しい立場を引き受けた。

劉備の皇后、劉禅の皇太后として、蜀の内廷に二十年あまり座った。目立つ政治の記事は少ないが、そのことが、宮中が荒れなかった証でもある。

持ち味と、その裏側

主君が代わっても居場所を保つ、環境への順応と落ち着き。劉備は皇后に立てる詔で「宗廟を承け、天下に母たれ」と述べた。益州出身の后が加わったことは、劉焉の旧臣たちを安んじる助けにもなったとされる。一方で、自分から動いた記事は少なく、人物像は周囲の記録を通して見えてくる。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜245年

兗州陳留郡の人。姓は呉、名は莧。兄は呉懿。

  1. 幼いころに父を失った。父は劉焉と旧交があり、劉焉の入蜀にあたって、母や兄の呉懿、族弟の呉班の一家とともに益州へ移った。
  2. 劉焉は野心を抱いており、人相見が「大いに貴くなる」と呉氏を見立てたと聞くと、同行していた三男の劉瑁の妻に迎えた。劉瑁は早く亡くなり、呉氏は未亡人となった。
  3. 建安19年(214年)、劉備が成都に入った。孫夫人はすでに呉へ帰っており、群臣が呉氏を娶るよう勧めた。劉備は劉瑁と同族であることをためらったが、法正が「親疏を論ずれば、晋の文公と子圉の間柄より遠いではないか」と説き、夫人に立てた。
  4. 建安24年(219年)、劉備が漢中王を名乗ると、漢中王后に立てられた。
  5. 章武元年(221年)5月、劉備が即位すると皇后に立てられた。皇后に立てる詔には「宗廟を承け、天下に母たれ」とある。
  6. 章武3年(223年)に劉備が没し、劉禅が即位すると皇太后となり、長楽宮に住んだ。
  7. 建興12年(234年)正月、劉琰の妻の胡氏が年賀のため参内した。呉氏は胡氏を一か月宮中にとどめてから帰らせた。劉琰は胡氏が劉禅と通じたのではと疑って、胡氏を殴って離縁した。胡氏が訴え出ると、劉琰は投獄され、のちに処刑された。これ以後、大臣の妻や母が参内して祝賀する儀礼は行われなくなった。
  8. 延熙8年(245年)8月に没し、劉備の恵陵に合葬された。小説『三国志演義』では、劉永・劉理の母という設定になっている。

主な出典
『三国志』蜀書「二主妃子伝」(先主穆皇后伝)、『華陽国志』。経歴は Wikipedia「穆皇后呉氏」の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・中立

礼と立場にそった生き方が中心で、決まりごとを重んじる人として、規律は秩序寄りに置いています。

史料に自らの意図を語る記事はほとんどなく、周囲の勧めに従って立場を移した人なので、動機は中立に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。