CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
禰衡
才を鼻にかけ、権力者にも歯に衣着せなかった若き文人
禰衡は、字を正平といい、平原郡般県の人です。若くして才と弁舌で名を知られ、孔融に高く評価されました。曹操には会おうとせず悪口を言ったとされ、怒った曹操に鼓吏(太鼓を打つ役)にされると、宴の席で衣を脱いで太鼓を打ち、かえって曹操を笑わせたと伝わります。荊州の劉表のもとでも折り合わず、江夏の黄祖のもとへ移り、最期は黄祖に侮辱の言葉を浴びせて殺されました。26歳だったとされます。『演義』では、裸で太鼓を打ちながら曹操を罵る「撃鼓罵曹」の名場面として脚色されています。経歴は『後漢書』文苑列伝 禰衡伝をもとにしています。
孔融に推された弁舌の才人。曹操にも劉表にも従わず、最後は黄祖に殺された。
THE WAY OF LIFE
禰衡の生き方
人に頭を下げず、言いたいことは言う。禰衡は、鋭い表現力と強い自負を併せ持つ人物像です。
決断と挑戦の高さは、相手が誰でも怯まない姿勢に、統率と規律の低さは、組織に収まらない気質に重ねています。
持ち味と、その裏側
相手の権威に動じず、言葉と芸で自分を示す表現力と胆力。一方で、味方まで敵に回しやすく、才を活かす居場所を自分で狭めてしまうこともあります。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
173年ごろ〜198年ごろ(享年26とされる)
平原郡般県の人。字は正平。
- 若くして才と弁舌で名を知られ、孔融に高く評価された。孔融と楊修のほかは眼中になかったと伝わる。孔融は曹操に推薦したが、禰衡は病を理由に会おうとせず、悪口を言ったとされる。
- 怒った曹操は、禰衡を鼓吏(太鼓を打つ役)にして辱めようとした。宴の席で禰衡は衣を脱いで太鼓を打ち、かえって曹操を笑わせたと伝わる。
- のち荊州の劉表のもとへ送られたが、ここでも折り合わず、江夏の黄祖のもとへ移った。黄祖の子の黄射とは親しく、『鸚鵡賦』を作った。
- 最期は黄祖に侮辱の言葉を浴びせ、怒った黄祖に殺されたと伝わる。26歳だったとされる。
- 『三国志演義』では、裸で太鼓を打ちながら曹操を罵る「撃鼓罵曹」の名場面として、大きく脚色されている。
主な出典
『後漢書』文苑列伝 禰衡伝
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
身分や礼を気にせず、組織の秩序に従わない振る舞いから、規律は混沌寄りとしています。
名声や地位のためではなく、自分の才と矜持を曲げないことが先に立つ姿から、動機は中立に置いています。他人への配慮の薄さを評価するものではありません。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。