CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
盧欽
曹爽の弟の私的な頼みを退け、死後に家を建てる銭を賜った魏晋の清貧の官僚
盧欽は、字を子若といい、范陽郡涿県の人で、後漢の大儒・盧植の孫、司空・盧毓の子です。淡泊で遠い見識があり、経史に篤志でした。曹爽に辟されると、弟が私的な頼みごとをしたとき、「子弟は法度を犯すべきではありません」と進言し、曹爽は弟を罰しました。曹爽の失脚で免官されましたが、のち司馬懿に召され、吏部尚書となります。晋では平南将軍として沔北を鎮め、寛と猛をよく兼ね、境は静かでした。人を挙げるとき必ず才によったため、廉平と称えられます。清貧で、咸寧4年(278年)の没後には家がなく、武帝が邸宅を建てる銭を賜りました。経歴は『晋書』盧欽伝をもとにしています。
字は子若。范陽郡涿県の人。後漢の大儒盧植の孫で、司空盧毓の子。曹爽に辟されて、その弟の私的な頼みを退けた。曹爽の失脚で免官されたが、のち司馬懿に召され、吏部尚書となった。晋では平南将軍として沔北を鎮め、寛猛を使い分けた。清貧で、没後、家がなく、武帝が家を建てる銭を賜った。咸寧4年(278年)没。
THE WAY OF LIFE
盧欽の生き方
曹爽の弟の頼みごとに、「子弟は法度を犯すべきではない」と進言し、曹爽に弟を罰させた。権力者の身内にも、礼を曲げない人です。
禄は親族や旧友に分け、没後に家がなかった。規律は最高に置いています。
持ち味と、その裏側
権力者の身内の頼みを退け、のちに晋でも才だけで人を挙げた公平さ。鎮では寛と猛を使い分けて、境を静かに保った統治。俸禄を親族や旧友に分け、財を営まなかった清貧。徐邈を評した文章のように、人の人柄を見抜く目。一方で、父の盧毓ほどの勇ましい逸話は多くなく、決断や挑戦は大きく目立たない。決断と構想は中程度、挑戦は低めに置いています。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜咸寧4年(278年)
范陽郡涿県(現在の河北省涿州)の人。字は子若。祖父は盧植、父は盧毓。子は盧浮。大梁侯。追贈は衛将軍・開府儀同三司、諡は元。
- 范陽郡涿県の人で、字は子若。祖父は後漢の侍中の盧植、父は魏の司空の盧毓で、代々儒学で知られた名門の出である。淡泊で遠い見識があり、経史に篤志で、孝廉に挙げられたが応じなかった。
- 斉王曹芳のとき、大将軍の曹爽に辟されて掾となった。曹爽の弟が私的な頼みごとをしたとき、盧欽は曹爽に「子弟は法度を犯すべきではありません」と進言した。曹爽は深くこれを納れ、弟を罰した。尚書郎となった。
- 正始10年(249年)、曹爽が高平陵の変で誅されると、旧臣だったため免官された。のち侍御史となり、父の爵位の大利亭侯を継ぎ、琅邪太守まで累進した。
- 司馬懿が太傅となると、盧欽を従事中郎に辟した。陽平太守に出て、淮北都督・伏波将軍に進み、称えられる成績を上げた。召されて散騎常侍・大司農となり、吏部尚書に進み、大梁侯に封じられた。
- 晋の武帝が受禅すると、都督沔北諸軍事・平南将軍・仮節となり、追鋒軺・臥車、第二駙馬、騎具刀器、御府の人馬鎧、銭30万を賜った。
- 盧欽は鎮で寛と猛をよく兼ね、境は事なく静かだった。入朝して尚書僕射となり、侍中・奉車都尉を加えられ、吏部尚書を領した。清貧だったため、司馬炎は特に絹百匹を賜った。盧欽は、人を挙げるとき必ず才によったため、廉平と称えられた。
- 歴任した州郡では功名を求めず、公平に治めることを務めた。俸禄は親族や旧友に分け与え、財産を営まなかった。礼典に従い、妻が亡くなると廬を建て、杖をつき、喪が明けるまで外に居た。
- 咸寧4年(278年)、没した。司馬炎は「欽は道を履んで清正で、徳を執って貞素だ。文武の称は夏に著れ、機衡に入って庶事を允にし、内外に勤め、身を顧みない節があった。不幸にして薨じ、朕は甚だ悼む」と詔し、衛将軍・開府儀同三司を追贈し、秘器・朝服・衣・布50匹・銭30万を賜った。諡は元。
- 盧欽は忠清で高潔、産業を営まなかったため、没後、家に居る所がなかった。司馬炎は特に銭50万を賜り、邸宅を建てさせた。さらに詔して「故司空の王基、衛将軍の盧欽、領典軍将軍の楊囂は、いずれも素より清貧で、没後に居る所に私積がない。近ごろ飢饉で、その家は大いに困窮していると聞く。各々に穀300斛を賜う」と述べた。
- 盧欽は詩・賦・論・難を数十篇書いて『小道』と名づけ、『全晋文』には『論徐邈』が残る。徐邈の『通』と『介』を評して、世が変わっても徐邈は変わらない、と述べた。
- 房玄齢は、盧欽は「清談に遠識があり、経史に篤志」で、鎮では寛猛を中ほどにとって、境に憂いがなかった、と評し、「子若は儒素を基とし、偉容は苦節で誉れを流す」と述べた。子の盧浮は大梁侯を継いだが、病のため仕えなかった。
主な出典
『晋書』盧欽伝(百度百科が引く本文)、『謚法考』、房玄齢の評、日本語版Wikipediaの記述
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
礼と法度を重んじ、妻を亡くしたときは廬を作り、喪が明けるまで外に居た行動から、規律は最高に置いています。
俸禄を親族や旧友に分け、財を営まず、才だけで人を挙げた行動から、動機は他者寄りの側に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。