CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
皇甫規妻
董卓の求婚を拒み、刀に囲まれても叱りつけた名将の妻
皇甫規妻は、後漢の名将・皇甫規の後妻です。文章と草書に優れ、夫に代わって書状を書くほどの才女でした。夫の死後、権力を握った董卓に豪華な車百台と財物で妻になるよう迫られましたが、刀に囲まれても屈せず、董卓を叱りつけて命を落としました。名は伝わっていません。経歴は『後漢書』列女伝などをもとにしています。
皇甫規の後妻。文章が巧みで草書をよくし、夫の書状の代筆をして人々を驚かせた。夫の死後、相国となった董卓が、車百台・馬二十匹・奴婢と財物を道に満たして求婚した。彼女は質素な服で董卓の門を訪れ、ひざまずいて断りを願った。刀を抜いた侍者に囲まれても屈せずに董卓を叱りつけ、車の軛に頭をかけられ鞭打たれて亡くなった。後の人は肖像を描き、「礼宗」と呼んだ。
THE WAY OF LIFE
皇甫規妻の生き方
最初はひざまずき、言葉を尽くして断りを願った。それでも許されないと悟ると、立ち上がって真正面から董卓を叱りつけた。礼を尽くしたうえで、譲れない一線は決して譲らない人です。
最期に打ち手へ言ったのは「なぜもっと強く打たないのです。早く終わらせてくれるのが情けです」という言葉でした。恐れではなく、意志が最後まで勝っていました。
持ち味と、その裏側
相手がどれほどの権力者でも、正しいと信じることを言葉にする強さ。文章と書の才もある。一方で、引くことを知らない激しさが、命を縮めることにもなった。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末。董卓が相国だった189〜192年ごろに没)
『後漢書』は「どこの家の娘か分からない」と記す。唐の張懐瓘『書断』では扶風郡の馬氏の娘とされる。
- 名将・皇甫規が最初の妻を亡くしたのち、後妻として迎えられた。
- 文章が巧みで草書をよくし、たびたび夫に代わって書状を書いた。人々はその筆の見事さに驚いたという。
- 皇甫規が亡くなったとき、彼女はまだ若く美しかった。のちに相国となった董卓がその評判を聞き、婦人用の車百台、馬二十匹、奴婢と銭や絹を道いっぱいに連ねて求婚した。
- 彼女は質素な服で董卓の門を訪れ、ひざまずいて断りを願い出た。その言葉はひどく痛ましかった。董卓は侍者たちに刀を抜かせて彼女を囲み、「わしの威令は天下になびかせようとしているのに、一人の女に通らぬことがあろうか」と言った。
- 逃れられないと悟った彼女は、立ち上がって董卓を罵った。「天下を害してもまだ足りないのですか。わが家は代々清い徳を伝え、皇甫氏は文武の才を備えた漢の忠臣です。あなたは、かつてその配下で使い走りをしていた者ではありませんか。そのあなたが、主の夫人に非礼を働こうというのですか」。
- 董卓は車を庭に引き入れ、彼女の頭を軛にかけさせ、鞭で打たせた。彼女は打ち手に「なぜもっと強く打たないのです。早く終わらせてくれるのが情けです」と言い、車の下で息絶えた(『後漢書』列女伝)。
- 後の人は彼女の姿を絵に描き、「礼宗」と呼んだ。皇甫氏の故地とされる甘粛の泾川には、今も皇甫聖母を祀る祠と墓が残り、廟会が続いていると伝えられる。
主な出典
『後漢書』列女伝、張懐瓘『書断』。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・中立
まず礼を尽くして断りを願い、夫の家の清い名と礼を最後まで守り通したことから、規律は強い秩序に置いています。
夫と皇甫家の名誉を守るために、命をかけて董卓を拒んだことから、動機は家のための中立に置いています。自分の身を守ることより、家の清い名を選んだ人です。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。