CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
甘夫人
家の内を支え、後主を産んだ人
甘夫人は、劉備の側室で、後主劉禅の生母です。沛の出身で、劉備が小沛にいたころに迎えられました。本人の言葉は史料にほとんど残らず、人柄を示す記録は限られています。ここでは、劉備の苦難の時期に家の内を取り仕切った記録と、長坂の戦いでの経緯を手がかりに、暫定の値を置いています。本人の内心を断定するものではありません。
劉備の側室で、後主劉禅の生母。沛の人。のちに昭烈皇后と追諡された。
THE WAY OF LIFE
甘夫人の生き方
正室を何度も失った劉備に代わって、家の内のことを取り仕切った。甘夫人は、家を支える役を担った人物像です。
自分の言葉はほとんど残らない。表現の値を低めにしているのは、記録の少なさによる暫定のものです。
持ち味と、その裏側
流浪の主君の家を支える落ち着きと、役割を受け持つ堅実さ。一方で、史料が乏しく、人柄を直接伝える記録がない点には注意が必要です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年未詳〜没年未詳(長坂の戦いの後、章武2年に追諡)
沛の人。劉備の側室。劉禅の生母。
- 沛の人。劉備が豫州にいて小沛に住んでいたころ、迎えられて側室となった。
- 劉備はたびたび正室を失っており、甘夫人が常に家内の務めを取り仕切った。
- 劉備に従って荊州へ行き、後主劉禅を産んだ。
- 曹操の軍が当陽の長坂で劉備に追いつくと、劉備は劉禅と甘夫人を置いて逃れた。趙雲に守られて、難を免れた。
- のちに亡くなり、南郡に葬られた。没年は本文に書かれていない。
- 章武2年(222年)、劉備は皇思夫人と追諡し、蜀へ改葬しようとしたが、到着前に劉備が亡くなった。劉禅が即位すると、諸葛亮の上言により昭烈皇后と追諡され、劉備と合葬されることになった。
- 後世の志怪書『拾遺記』には、微賤の出自や占い、容姿、玉の人形の逸話が見える。これは正史の本文ではなく、史実としては扱えない。
- 『三国志演義』では、長坂で趙雲に救われる場面や、死が孫権の妹との縁組につながる展開が描かれる。正史の本文は、没年も詳しい経緯も記さない。
- 史料の記述が少なく、このページの性格の値は暫定のものである。
主な出典
『三国志』蜀書 二主妃子伝(先主甘皇后伝)
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・中立
家内の務めを担った記録から、規律は秩序寄りとしています。
家を支えた記録は見えますが、動機を一方に定められる記録がないため、中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。