三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

王連

城門を閉ざして降らず、塩鉄で蜀を支えた実務の臣

王連は、字を文儀といい、荊州南陽郡の人です。劉璋のもとで梓潼県令を務め、建安18年(213年)に劉備軍が至ると、城門を閉ざして降りませんでした。劉備はその義を認め、強攻しなかったといいます。益州の平定後は司塩校尉となり、塩と鉄の専売を進めて国庫の収入を大きく増やしました。建興元年(223年)に丞相長史となり、平陽亭侯に封じられます。南方四郡が背いて諸葛亮が自ら南征しようとすると、南方は不毛の地で疫病も多いと諫めました。王連の存命中、諸葛亮は成都にとどまり、建興2年(224年)に亡くなった翌年、南征に出ます。陳寿は「節義は固く、移ろわなかった」と評しました。経歴は『三国志』蜀書 王連伝をもとにしています。

荊州南陽の人。劉璋のもとで梓潼県令を務め、劉備軍に城門を閉ざして降らなかったが、その義を認められて登用された。司塩校尉として塩鉄の専売で蜀の財政を支え、諸葛亮の南征を諫めた。

THE WAY OF LIFE

王連の生き方

一度決めた筋を、最後まで曲げない。王連は、固い信条と、役目を実務で果たす統率力を併せ持つ人物像です。

目立つ戦功はなく、制度と人づくりで国を支えた。統率と動機の高さと、挑戦の低さに、その堅実さと、慎重な守りの姿勢を重ねています。

持ち味と、その裏側

義を貫く節操の強さと、塩鉄の専売で国庫を満たす実務力、人材を育てる目。一方で、慎重さが先に立ち、南征のような大きな賭けには、反対に回りやすい面がありました。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

?年〜建興2年(224年)

荊州南陽郡の人。字は文儀。

  1. 荊州南陽の人。劉璋の時代に益州へ移り、梓潼県令となった。
  2. 建安18年(213年)、劉備軍が梓潼に至ると、王連は城門を閉ざして降らなかった。劉備は、その義を認め、強攻しなかった。
  3. 益州の平定後、什邡県令・広都県令を歴任し、司塩校尉となった。塩と鉄の専売を進め、国庫の収入を大きく増やした。その下で、呂乂・杜祺・劉幹らも育った。
  4. 蜀郡太守・興業将軍を経て、建興元年(223年)には、屯騎校尉・丞相長史となり、平陽亭侯に封じられた。
  5. 建興年間、南方四郡が背くと、諸葛亮は自ら南征しようとした。王連は、南方は不毛の地で疫病も多く、丞相が自ら行くべきではないと諫めた。王連の存命中、諸葛亮は成都にとどまった。
  6. 建興2年(224年)に亡くなり、その翌年、諸葛亮は南征に出た。子の王山が後を継ぎ、のち江陽太守となった。
  7. 陳寿は「節義は固く、移ろわなかった」と評した。『三国志演義』では、南征を諫める場面でのみ登場する。

主な出典
『三国志』蜀書 王連伝、『三国志演義』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

主君への忠義と、国の制度を守る姿から、規律は秩序寄りとしています。

主君への義と、国の財政を整える務めを両立させた姿から、動機は利他寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。