三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

王脩

旧主の亡骸を葬ることを願い、曹操を感心させた人

王脩は、字を叔治といい、北海郡営陵県の人です。孔融に招かれて高密の県を預かり、孔融が賊に脅かされたときは、夜のうちに馬で駆けつけて助けました。のち袁譚に仕え、建安10年(205年)に曹操が南皮の袁譚を攻めると、援軍に駆けつけましたが、すでに袁譚は殺されていました。王脩は曹操に、かつての主君を葬ることを願い出て、報いられれば死罪になっても悔いはないと述べたと伝わり、曹操は感心して許し、取り立てます。魏郡太守・大司農・奉常を務め、許で耿紀らが反乱を起こしたときは、役所を離れて徒歩で宮門へ駆けつけ、危機にある人を助ける義は慣例に勝ると答えました。経歴は『三国志』魏書 王脩伝をもとにしています。

北海郡営陵の人。孔融に仕えて高密・膠東を治め、のち袁譚に仕えた。袁譚が曹操に討たれると、処罰を覚悟で亡骸を葬りたいと願い出て、許されて曹操に仕えた。魏の郡太守・大司農・奉常を務めた。

THE WAY OF LIFE

王脩の生き方

旧主のために、自分の処罰を恐れず願い出た。王脩は、義を自分の身より重く置く人物像です。

孔融の危機にも、夜に駆けつけた。動機と信条の高さに、その姿を重ねています。

持ち味と、その裏側

義を貫く姿勢と、人を見捨てない行動力。賊を討つ場面では、厳しい処断もできる実務の力もあった。一方で、人のための行動が先に立ち、自ら大きな構想を描く場面は少ない人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年未詳(173年より前)〜没年未詳(216年以降)

北海郡営陵県の人。字は叔治。子に王忠。

  1. 北海郡営陵県の人で、字は叔治。若いころに母を亡くした。十九歳で遊学に出たのち、孔融に招かれて、高密の県を預かった。
  2. 高密では、罪人をかくまった家を連帯で責める制度を作った。孔融は王脩を孝廉に推したが、王脩は、その枠を邴原に譲ろうと何度も試みたという。
  3. 孔融が賊に脅かされたとき、王脩は夜のうちに馬で駆けつけて助けた。孔融はこれを喜び、王脩を膠東の令に任じた。王脩は、賊の頭の公沙盧とその兄弟を討ち、賊は減ったという。
  4. 建安元年(196年)、袁紹が孔融を追い出したあと、王脩は袁譚に仕えた。建安7年(202年)、袁紹の死後に袁尚が袁譚を破ると、王脩は官吏や徴発した兵を率いて袁譚を助けに行った。袁譚には、袁尚と和解するよう勧めたが、受け入れられなかった。
  5. 建安10年(205年)、曹操が南皮の袁譚を攻めたとき、王脩は楽安で兵糧の輸送を監督していた。援軍に駆けつけたが、すでに袁譚は殺されていた。王脩は曹操に、袁譚を葬ることを願い出た。かつての主君に報いられれば、そのあとで死罪になっても悔いはない、と述べたと伝わる。曹操は感心して許し、王脩を取り立てた。
  6. 曹操は、楽安の守将だった管統の首を持ってくるよう王脩に命じた。しかし王脩は、管統の縄を解き、生かして連れてきた。曹操は、これを罪に問わなかった。
  7. のち、司空の府で金や銀の管理にあたり、建安17年(212年)に魏郡太守となった。魏国が立つと、大司農、さらに奉常となった(大司農への任命には異説がある)。体罰を戒める意見も述べた。
  8. 許で耿紀らが反乱を起こしたとき、王脩は、役所を離れて徒歩で宮門へ駆けつけた。鍾繇は、持ち場を離れたことを咎めたが、王脩は、危機にある人を助ける義は、慣例に勝ると答えた。王脩はそれからまもなく亡くなった。

主な出典
『三国志』魏書 王脩伝(巻11、裴松之注を含む)、『後漢書』、『資治通鑑』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

礼と義に従って動く人で、規律は秩序寄りとしています。

旧主への義と、危機にある人を助けようとする行動の記録から、動機は他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。