CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
王経
曹髦を諫め、母とともに散った尚書
王経は、魏の官僚です。清河の出身で、郡守から二州の刺史、司隷校尉をへて尚書に至り、曹髦の挙兵のときは諫めた側にいました。洮西で姜維に敗れた記録もあります。ここでの人物像は、記録からの読みで、母の忠告や最期の逸話は、本文と注を分けて書いています。
清河の人。二州の刺史・司隷校尉をへて尚書となり、洮西で姜維に敗れて狄道に籠もった。曹髦の挙兵では諫めたが、事件に連座して母とともに処刑された。
THE WAY OF LIFE
王経の生き方
曹髦に、挙兵は危険だと諫めた。注に引く書は、密告に加わらなかったとも伝える。信条の高さは、この行動に基づく読みです。
曹爽の命令を開かずに官を捨てて帰った話(注)や、洮西で陳泰の返答を待たずに戦った記録(本文)がある。規律の低さは、指示より自分の判断で動いた行動に基づく読みです。
持ち味と、その裏側
正直で、権力者に安易に従わなかったと伝わる人物。晋の武帝は、志を守ったことを称賛している。一方、洮西では、陳泰の返答を待たず出戦して大敗した記録もあり、両面が並んでいます。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜甘露5年(260年)
清河の人。字は彦偉(注『世語』)。母は「田家の子」と呼んだ。
- 清河の人。許允とともに冀州の名士として知られた。郡守ののち二州の刺史、司隷校尉を歴任し、甘露年間に尚書となった(本文)。
- 注に引く『世語』は、字を彦偉とし、初め江夏太守を務めたと記す。曹爽から呉との交易を命じられたとき、手紙を開かずに官を捨てて帰郷したという。母は、兵馬を預かる者が独断で任務を離れたことを叱り、役人の前で五十回打たせた。曹爽はこれを聞き、罪に問わなかった。司隷校尉のときは、河内の向雄を属官に登用した。
- 本文は、母が王経に「お前は田家の子だ。いま二千石の官に至った。行き過ぎた栄達は不吉だから、ここで止めよ」と忠告したと記す。王経は従わず、二州の刺史・司隷校尉を歴任し、ついに災難に遭った、と本文は書く。ただし、処刑の直接の理由は曹髦事件への連座で、「出世したから死んだ」という単純な因果ではない。
- 正元2年(255年)8月、雍州刺史の王経は、姜維と洮西で戦って大敗し、狄道城に退いた(巻4・巻22・本文)。巻22によれば、王経は、姜維・夏侯覇が三方面から侵攻すると報告して陳泰に進軍を求めた。陳泰は、兵を分けず、敵の進路を確かめてから動くよう返答した。しかし王経は、陳泰の軍が着く前に戦い、一万余人を率いて狄道城に退いた。残りの兵は散った。
- 陳泰は、王経について「高い壁と深い堀で、敵の鋭気を挫くべきだったのに、戦って敵の思う壺にした」と述べた。これは本文に収める陳泰の発言で、陳寿自身の評ではない。救援のあと、王経自身は「食糧は十日ももたず、救援が遅れれば城は壊滅していた」と述べている。敗兵をまとめて城を保った点も、記録に残っている。
- 洮西の敗北のあと、降格されたという記述は確認できない。官職は、255年が雍州刺史、260年が尚書で、そのあいだの人事の経過は分からない。
- 曹髦に呼ばれたとき、注に引く『漢晋春秋』は、王経が、魯の昭公が季氏を除けず国を去った例を挙げ、司馬氏の権力は久しく固まり、宮中の兵も少ないとして、「禍は測れない、十分に慎重に」と諫めたと伝える。『世語』は、王経は正直で、密告に出向かなかったとし、『晋諸公賛』は、王沈らに誘われても「あなた方だけで行きなさい」と従わなかったとする。三書とも、王経が挙兵に加わった、あるいは密告した、とは記していない。
- 本文に載る皇太后の令は、王経を「凶逆無状」とし、王経とその家族を廷尉に送るよう命じた。王経は曹髦の死に連座して処刑された(巻9・本文)。令は事件後の公式の命令で、王経の反逆を独立に立証するものではない。
- 注に引く『世語』は、王経が東市で処刑され、かつて登用した向雄が泣き、市の人々が感動したと伝える。同じく、王経の母も処刑され、雍州時代の部下の皇甫晏が、家の財で母子を葬ったという。
- 注に引く『漢晋春秋』は、捕えられた王経に、母が表情を変えず笑って「人は誰でも死ぬもの」と言い、栄達を止めようとしたのは息子が死に場所を得られないことを恐れたからで、ここで共に終わることに悔いはない、と語ったとする。
- のち、晋の武帝は泰始元年の詔で、王経について、刑には陥ったが、志を守ったことは称賛に値すると述べ、孫に郎中の官を与えたという(注に収める詔)。
- 『三国志演義』は、曹髦の死のあとに王経が現れて賈充を罵る場面を加えているが、これを史実として採る根拠は、確認できなかった。
主な出典
『三国志』魏書 夏侯玄伝(王経の記事)、陳泰伝、三少帝紀(裴松之注に引く『世語』『漢晋春秋』『晋諸公賛』)
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・善
曹爽の命令や陳泰の返答に従わず、自分の判断で動いた記録から、規律は裁量寄りとしています。
曹髦に挙兵を諫め、密告にも加わらなかった行動は、筋を通そうとする方向に揃っています。ただし、本人の内心は史書に書かれていません。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。