CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
王粲
建安七子の冠冕・曹魏の侍中
王粲は、字を仲宣といい、山陽郡高平県の人で、建安七子のなかでも冠冕と称えられた文人です。若くして博識で、長安で蔡邕に才を認められ、蔵書を贈られました。長安の混乱ののち荊州の劉表に身を寄せましたが、重く用いられず、「登楼賦」「七哀詩」などを残します。建安13年(208年)、曹操が荊州に進むと、劉琮に降伏を勧め、丞相掾となって関内侯に封じられました。魏国では侍中として礼制の再建に当たり、建安22年(217年)、孫権征伐からの帰途に疫病で没します。41歳でした。曹丕らが驢鳴で見送ったと伝わります。経歴は『三国志』魏書 王衛二劉傅伝をもとにしています。
山陽郡高平県の人。太尉王龔の曾孫、司空王畅の孫。若くして博識で、蔡邕に才を認められ蔵書を贈られた。長安の混乱ののちに荊州の劉表に身を寄せたが、重く用いられず、「登楼賦」「七哀詩」などを残した。曹操が荊州に進むと、劉琮に降伏を勧めて曹操の幕府に入った。魏国では侍中として礼制の再建に当たり、建安22年(217年)、疫病で没した。曹丕は葬送の際、驢鳴で悼んだと伝わる。
THE WAY OF LIFE
王粲の生き方
劉表の下では才を認められず、「登楼賦」で故郷を懐かしみ、乱世を嘆いた。その作品は、抒情小賦の流れを開いたと評される。
魏国では侍中として礼制を整え、失われた玉佩の形を復元したと伝わる。「従軍詩」には建功の志を込めた。
持ち味と、その裏側
博識と記憶力、乱世の情を言葉にする表現力。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
177年〜217年(建安22年・41歳で没)
山陽郡高平県(現在の山東省微山県両城鎮)
- 177年: 生まれる。太尉王龔の曾孫、司空王畅の孫。
- 191年: 長安に移り、蔡邕に才を認められて蔵書を贈られる。
- 193年: 黄門侍郎に召されるが、長安の混乱で就かず。荊州の劉表に身を寄せる。
- 208年(建安13年): 劉表の死後、劉琮に降伏を勧め、丞相掾となり関内侯に封じられる。
- 211年(建安16年): 丞相軍謀祭酒となり、西征に従う。
- 213年(建安18年): 魏国の侍中となり、礼制の再建に当たる。
- 217年(建安22年): 孫権征伐からの帰途、疫病で没。41歳。曹丕らが驢鳴して見送る。
主な出典
『三国志』魏書 王衛二劉傅伝(裴松之注を含む)、曹植「王仲宣誄」、劉勰『文心雕龍』。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
規律2のため混沌。急性で、人を立てることに欠けたと伝わる(『三国志』本伝)。
乱世の中で、戦を避けて民を守る道を選んだ。動機は他者寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。