三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

王甫

人物評が好きな議論家で、夷陵の敗戦で秭帰に散った蜀漢の官僚。演義の関羽の忠臣とは別人

王甫は、字を国山といい、広漢郡郪県の人です。『三国志』は「人の言議(人物の評)を好む」と記し、議論や人物批評で世間から評判を得ました。劉璋のもとで益州の書佐を務め、建安19年(214年)に劉備が益州を平定すると綿竹令となり、のち荊州議曹従事となります。章武2年(222年)、夷陵の戦いで劉備軍が秭帰へ戻るなか、その軍に従っていて、遇害しました。『演義』では、関羽の随軍司馬として烽火台を勧め、麦城で城壁から身を投げますが、これは創作で、史書に関羽との接点は見えません。経歴は『三国志』蜀書 鄧張宗楊伝と『華陽国志』をもとにしています。

字は国山。広漢郡郪県の人。議論や人物批評を好み、世間から評判を得た。劉璋のもとで益州の書佐を務め、建安19年(214年)に劉備が益州を平定すると綿竹令となり、のち荊州議曹従事となった。章武2年(222年)、夷陵の戦いで劉備軍が秭帰で敗れたとき、遇害した。子の王祐は尚書右選郎。『三国演義』では関羽の随軍司馬として烽火台を勧め、麦城で城壁から身を投げるが、これは演義の創作で、史書に関羽との接点は見えない。

THE WAY OF LIFE

王甫の生き方

人の評判や議論を好み、世間から「国山休風」と称えられた。楊戯は『季漢輔臣賛』で、同郷の秀才たちとともに彼を蜀の芳香とうたった。

劉備の東征に従い、秭帰で軍が敗れたとき、遇害した。史書に書かれた事績はこれがほぼすべてで、演義の王甫は別人のように描かれている。

持ち味と、その裏側

人物や世相を論じる口と、それが世間から美称で受け止められた評判。益州の書佐から綿竹令、荊州議曹従事へと、州の要職を歩いた実務。従兄の王商・王士とともに、蜀の官僚の家筋を担った一族の力。一方で、史書に残る事績は少なく、挑戦や統率を測る材料はほとんどない。そのため決断・構想は中程度、挑戦と統率は低めに置いています。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜章武2年(222年)

広漢郡郪県(現在の四川省三台県)の人。字は国山。子は王祐(尚書右選郎)。従兄に王商(蜀郡太守)・王士(犍為太守・蜀郡太守)。

  1. 広漢郡郪県の人で、字は国山。『三国志』は「人の言議(人物の評)を好む」と記し、『華陽国志』は「議論に長け、世間から美称を受けた」と伝える。議論と人物評を好んだ人であった。
  2. 劉璋の時代には、益州の書佐を務めた。州の文書や記録を扱う下級の官であった。
  3. 建安19年(214年)、劉備が益州を平定すると、王甫は綿竹令とされた。以後、劉備に仕える蜀漢の官僚となった。
  4. のち荊州議曹従事となった。『三国志』は「還りて荊州議曹従事となる」と記すが、任地や仕事の内容は書いていない。『華陽国志』は、綿竹令から州の右職(要職)に進んだと伝える。
  5. 章武2年(222年)、劉備が呉へ東征した。夷陵・猇亭の戦いで、陸遜の火攻めに劉備軍が大敗し、劉備は秭帰へ戻った。王甫は、この軍に従っており、秭帰で軍が敗れたとき、遇害した。
  6. 子の王祐は父の風があると評され、官は尚書右選郎に至った。従兄の王商は益州治中・蜀郡太守で、博学多聞と称された。王士は字を義強といい、犍為太守・蜀郡太守などを歴任した。『華陽国志』は王士と王甫を「文表(王商)の諸弟」と呼ぶ。
  7. 楊戯の『季漢輔臣賛』は「国山は休風、永南は思いを耽らす」と王甫を挙げ、「済済として志を修め、蜀の芬香なり」とまとめた。常璩も「李・王の四子、並びに琳琅を作す」と記した。
  8. 『三国演義』の王甫は、関羽の随軍司馬である。関羽が襄陽を攻めたとき、呂蒙の来襲に備えて烽火台を築くよう進言した。荊州の守りに潘濬ではなく趙累を推したが、関羽は聞かなかった。関羽の死を知って城壁から身を投げたとされるが、これは演義の創作で、史書にはない。
  9. 解州関帝廟の部将祠には、周倉・王甫・趙累の3人の塑像が祀られている。演義の関羽の部下としての王甫は、後世の信仰の中で定着した。1994年のドラマ『三国演義』では、遅重根が王甫を演じた。

主な出典
『三国志』蜀書 鄧張宗楊伝(百度百科が引く本文)、『華陽国志』巻10、『三国志』先主伝、日本語版Wikipediaの記述

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

議曹従事として州の議を担い、主君の遠征にも従った役人としての行動から、規律は高めに置いています。

州の要職に就き、最後は劉備の遠征に従って敗戦の場に残った行動から、動機は他者寄りの側に置いています。ただし史書の記述は短く、根拠は多くありません。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。