三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

王允

漢室への忠義を貫き、董卓を討った司徒

王允は、字を子師といい、并州太原郡祁県の人です。名士の郭泰から「王佐の才がある」と評されたと伝わります。184年の黄巾の乱では豫州刺史として黄巾軍を破り、十常侍の張譲が黄巾軍と通じていることを告発しました。190年に司徒となり、董卓の暴虐を見て暗殺を計画し、董卓の寵臣の呂布を説き伏せて、192年4月に董卓を討ちます。しかし旧臣への厳しい処置が李傕・郭汜の反撃を招き、同年6月、長安に攻め入られました。呂布が脱出を勧めても、「国家が安泰であることが願いだ」と言って長安に残り、処刑されました。長安の人々は涙を流したと伝わります。『演義』の貂蝉の連環の計は、創作です。経歴は『後漢書』王允伝をもとにしています。

後漢の司徒。呂布を引き込んで董卓を討ったが、旧臣への厳しい処置が李傕・郭汜の反撃を招き、192年に殺された。

THE WAY OF LIFE

王允の生き方

曲がったことを許さず、やり遂げる。王允は、揺るがない信条と、国を思う強い責任感を併せ持つ人物像です。

正しさにこだわるほど、相手に譲れなくなる。信条と規律の高さと、統率の低さに、その誠実さと融通の利かなさを重ねています。

持ち味と、その裏側

筋を通す信念と、危険を承知で董卓を討つ決断力。一方で、融通が利かず、董卓の旧臣に妥協できなかったため、反撃を招きました。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

137年〜初平3年(192年)

并州太原郡祁県の人。字は子師。

  1. 19歳で郡の役人となり、悪事を重ねていた趙津を処刑した。趙津の兄弟が宦官に賄賂を送って復讐を図り、上司の劉瓚が処刑されると、王允は劉瓚の棺を故郷に運んで、3年喪に服した。
  2. 新しい太守の人事を諫めて投獄されたが、刺史の鄧盛に救われて部下となり、名声が高まった。名士の郭泰から、「王佐の才がある」と評されたと伝わる。
  3. 184年の黄巾の乱では、豫州刺史として荀爽・孔融らを幕僚に迎え、黄巾軍を破った。その後、十常侍の張譲が黄巾軍と通じていることを告発したが、張譲の逆恨みで投獄され、多くの助命の嘆願で救われた。
  4. 190年、司徒となった。董卓が少帝を殺し、洛陽を焼いて長安に遷都するのを見て、暗殺を計画した。黄琬・士孫瑞と相談し、董卓の寵臣の呂布を説き伏せて計画に加わらせた。呂布が董卓の侍女と通じていたことや、董卓に手戟を投げつけられた恨みがあったことが、利用された。192年4月、董卓は暗殺された。
  5. 呂布を奮威将軍・温侯に任じ、董卓の一族を処刑した。董卓に近かった官僚も粛清し、その中には蔡邕(蔡琰の父)もいた。蔡邕は、董卓の死を悲しんだことを理由に投獄され、獄中で亡くなった。
  6. 呂布らが、董卓配下の涼州兵に大赦を出すよう求めても、「年に二度の大赦は慣例に反する」として退けた。李傕・郭汜らの降伏の願いも許さなかった。
  7. 192年6月、李傕・郭汜が、賈詡の助言で長安に攻め入った。胡軫・楊定の裏切りもあり、王允と呂布は敗れた。呂布は王允にも脱出を勧めたが、王允は「国家が安泰であることが願いだ。幼い陛下は私だけを頼りにしている」と言って、長安に残った。捕らえられて処刑され、長安の人々は涙を流したと伝わる。のちに献帝は、その忠節を思い、葬り直させた。
  8. 『三国志演義』では、王允は養女の貂蝉を使って、董卓と呂布の仲を裂く「連環の計」を立てる。また、七星宝刀を曹操に渡して、董卓の暗殺を頼む。

主な出典
『後漢書』王允伝、『三国志』魏書 董卓伝・呂布伝、『三国志演義』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

年に二度の大赦は慣例に反するとして退けるなど、決まりを守る姿勢から、規律は秩序寄りとしています。

董卓を討ち、漢の朝廷を立て直そうとした忠義から、動機は善寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。