三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

牽招

師の棺にすがり、旧主の首に祭りを捧げた北辺の将

牽招は、字を子経といい、冀州安平郡観津県の人です。十代のころ同郷の楽隠に師事し、若い劉備とは「刎頸の交わり」を誓った仲と伝わります。189年、師が洛陽の混乱で殺されると、その棺を守って帰郷する途中で賊に襲われ、ほかの門人が逃げるなか、棺にすがって見逃しを願い、賊に許されて名を知られました。袁紹・袁尚に仕えたのち曹操に降り、建安12年(207年)には、公孫康が送ってきた袁尚・袁煕の首に祭りを捧げましたが、曹操は罰せず茂才に推挙しました。のち護鮮卑校尉・雁門太守として北辺を守り、太和2年(228年)には馬邑城で包囲された田豫を救い、軻比能を破っています。経歴は『三国志』魏書 満田牽郭伝(牽招伝)をもとにしています。

冀州安平郡の人。師の棺を守って賊に見逃された逸話で名を知られた。袁紹・袁尚に仕えたのち曹操に降り、烏桓・鮮卑への対応で功を立てた。雁門太守として北辺を守り、軻比能と戦った。

THE WAY OF LIFE

牽招の生き方

賊の前で、師の棺にすがって離れなかった。牽招は、情と義を重く置く人物像です。

のちには、北辺の異民族との折衝と防衛を任された。決断と統率の高さに、その働きを重ねています。

持ち味と、その裏側

義理を曲げない胆力と、異民族と渡り合う交渉・統率の力。北辺で長く安定を保った実績。一方で、陳寿が評するとおり、太守程度の地位では力を十分に生かしきれなかった人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年未詳〜没年未詳(太和2年〈228年〉以降)

冀州安平郡観津県の人。字は子経。子に牽嘉・牽弘。孫に牽秀。

  1. 冀州安平郡観津県の人で、字は子経。十代のころ、同郷の楽隠に師事した。若い劉備とは親しく、「刎頸の交わり」を誓った仲と伝わる。
  2. 中平6年(189年)、楽隠は何苗の長史となったが、洛陽の混乱で何苗とともに殺された。牽招は師の棺を守って帰郷する途中、賊に襲われた。ほかの門人が逃げるなか、棺にすがって見逃しを願い、その義気に打たれた賊に許されて、名を知られた。
  3. その後は袁紹に仕えて督軍従事となり、烏桓の騎兵を兼ねて率いた。袁紹の死後は、袁尚に仕えた。
  4. 建安9年(204年)、中山に逃れた袁尚のため、高幹に救援を求めに行ったが、高幹に殺されそうになって逃げた。袁尚のもとへ戻れず、曹操に降り、冀州従事となった。
  5. 烏桓の峭王を、袁譚から引き離すために柳城へ遣わされた。そこで公孫康の部下の韓忠が曹操を悪く言ったため、牽招は韓忠を斬ろうとしたが、峭王の謝罪を受けて剣を収めた。峭王は曹操に従った。
  6. 建安12年(207年)、公孫康が袁尚・袁煕の首を曹操に送ってきた。牽招は、その首に祭りを捧げた。曹操は罰せず、むしろ茂才に推挙した。
  7. 建安20年(215年)には、漢中の征討に従い、平定後は中護軍として留まった。のち鄴に戻り、平虜校尉として青州・徐州の兵を率いて、東萊の賊を破った。
  8. 黄初元年(220年)、曹丕が即位すると、使持節・護鮮卑校尉となり、昌平に駐屯して鮮卑を監督した。寛大な統治で、素利・弥加ら十数万家と、歩度根・泄帰泥ら三万家の部落を帰順させたと伝わる。
  9. 右中郎将・雁門太守としては、田地の開墾と治安の安定に努めた。雲中では、泄帰泥らを指揮して、軻比能の軍を破った。
  10. 太和2年(228年)、護烏桓校尉の田豫が馬邑城で軻比能に包囲されると、牽招はすぐに救援へ向かって田豫を救い、軻比能を破った。その後、諸葛亮と連絡を取る軻比能を討つ計画を進めている途中で、亡くなったと伝わる。没年は本文に書かれていない。
  11. 陳寿は、義を守る姿勢が激しく、威厳と功績が際立っていたが、太守程度の地位では能力を生かしきれなかった、と評している。牽招は『三国志演義』には登場しない。

主な出典
『三国志』魏書 満田牽郭伝(牽招伝)

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

法や上官の命に従いながらも、旧主への祭りのように、自分の義を通す場面があるため、規律は秩序寄りとしています。

師や旧主への義を貫いた逸話が多く、動機は他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。