CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
潘璋
荒々しく突き進み、肝心なところで決める猛将
潘璋は、字を文珪といい、兗州東郡発干県の人です。若いころは酒好きで貧しく、出世したら返すと言って借金をしていたと伝わります。建安20年(215年)の合肥では、張遼の奇襲で逃げる兵を斬って士気を立て直しました。建安24年(219年)には朱然とともに関羽の退路を断ち、部下の馬忠が関羽を生け捕りにします。黄武元年(222年)の夷陵の戦いでは、陸遜と協力して蜀の馮習を討ち取りました。嘉禾3年(234年)に亡くなっています。『演義』では、関羽から奪った青龍偃月刀を使い、関興に討たれますが、史書にはない脚色です。経歴は『三国志』呉書 潘璋伝をもとにしています。
呉の猛将。関羽の退路を断つ作戦に加わり、夷陵の戦いでも戦功を挙げた。
THE WAY OF LIFE
潘璋の生き方
考えるより先に体が動き、荒々しく押し切る。潘璋は、勝負どころで前に出る度胸と、気性の激しさを併せ持つ人物像です。
酒を好み、欲も強いが、戦場では逃げる兵を斬って立て直す胆力を見せた。決断の速さに、その荒さを重ねています。
持ち味と、その裏側
勝負どころで一気に動く胆力と、混乱した場面を立て直す強さ。一方で、気性の荒さや欲が先に立つと周囲との摩擦を生みやすいため、ひと呼吸おくことも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜嘉禾3年(234年)
字は文珪。兗州東郡発干県の人。
- 若いころは酒好きで貧しく、出世したら返すと言って借金をしていた。孫権が陽羨県長のときから従った。
- 建安20年(215年)、呂蒙らと荊南三郡を攻めた。合肥の戦いでは、張遼の奇襲で逃げる兵を斬って士気を立て直し、偏将軍となった。
- 建安24年(219年)、朱然とともに関羽の退路を断った。部下の馬忠が関羽を生け捕りにした。
- 黄武元年(222年)、夷陵の戦いで陸遜と協力し、蜀の馮習を討ち取った。黄龍元年(229年)に右将軍となり、嘉禾3年(234年)に亡くなった。
- 『演義』では、関羽から奪った青龍偃月刀を使い、夷陵の戦いで関興に討たれる。史書にはない脚色。
主な出典
『三国志』呉書 潘璋伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:中立・悪
荒っぽく振る舞いながらも、軍の禁令は実行した姿から、規律は中間としています。
手柄と報酬を求める気持ちが強く出る姿から、動機は利己寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。