CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
沙摩柯
漢のために夷陵に散った、異民族の王
沙摩柯は、劉備の呉討伐に加わり、夷陵の戦いで討たれた異民族の王です。正史『三国志』には陸遜伝に「胡王沙摩柯」として一度だけ名が出ます。『三国志演義』では五渓の蛮王として、赤ら顔に碧い目、トゲの付いた鉄の棍棒を振るう猛将に描かれました。経歴は陸遜伝の記述を軸に、演義の場面は分けて紹介しています。
劉備の呉討伐に味方した異民族の王。222年、夷陵の戦いで陸遜の火攻めにより蜀軍が大敗すると、張南・馮習とともに斬られた。史書に残る記録はこの一件だけだが、『三国志演義』では五渓の蛮王として大きく描かれ、甘寧を射殺する猛将として知られる。
THE WAY OF LIFE
沙摩柯の生き方
史書に残るのは、戦いに加わり、敗れて斬られたという結末だけ。それでも、他国の王が劉備の戦いに最後まで付き合ったことは確かです。
清の毛宗崗は演義の評で「番将能く漢の為に節に死す」と記した。異民族の将でありながら、漢のために命を落とした人として読まれてきました。
持ち味と、その裏側
迷わず前に出て、戦場の流れを力で変える勢い。一方で、退く判断や戦の全体を見る目については、記録に何も残っていない。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜章武2年(222年)
出身地は不明。陸遜伝では「胡王」とされる。演義では武陵の五渓蛮の王として描かれる。
- 章武元年(221年)、劉備は関羽の仇を討つため、呉への出兵を決めた。先主伝によれば、劉備は侍中の馬良を武陵の五渓蛮のもとへ送り、蛮はこぞって呼応した。ただし、この記事に沙摩柯の名はない。
- 章武2年(222年)、沙摩柯は劉備軍に加わって呉と戦った。
- 同年6月、陸遜が兵にかやを持たせて火攻めをかけ、蜀軍の陣を次々に破った。張南・馮習とともに「胡王沙摩柯」も斬られ、蜀軍の四十余りの陣が落ちた(陸遜伝)。
- 『三国志演義』では、五渓の蛮王として登場する。赤ら顔に突き出た碧い目、腰に弓を二張帯び、トゲ付きの鉄の棍棒(鉄蒺藜骨朵)を使う猛将として描かれる。
- 演義では、猇亭の戦いで甘寧を射殺し、敗走中に周泰に追いつかれ、二十余合打ち合って討たれる。ただし史実の甘寧は夷陵の戦いより前に病死しており、これは物語の場面である。
主な出典
『三国志』呉書「陸遜伝」、同 蜀書「先主伝」、『三国志演義』。経歴は Wikipedia「沙摩柯」の記述も参照しています。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
漢の官職や法の外にいる部族の王として、自らの力で戦場に立った姿から、規律は混沌寄りに置いています。
なぜ劉備に味方したのかは史書に記されていません。部族を率いて同盟に加わった立場から、動機は中立に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。