CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
歩闡
父祖の地・西陵で晋に寝返り、陸抗に滅ぼされた督
歩闡は、字を仲思といい、徐州臨淮郡淮陰県の人で、呉の丞相・歩騭の次男です。父と兄の歩協のあとを継いで西陵督となり、昭武将軍・西亭侯に封じられました。歩家は父の代から四十年あまり西陵を守っていましたが、鳳凰元年(272年)に孫皓から都へ呼び戻されると、歩闡は落ち度を問われるか、讒言されたのではと恐れ、西陵城ごと晋に降ります。晋は彼を衛将軍・宜都公とし、羊祜らを救援に送りましたが、陸抗は城の周りに長い囲いを築いて晋軍を退け、その年の暮れに西陵は落ちました。歩闡と謀を共にした数十人は三族まで処刑され、晋に人質として送られていた甥の歩璿が家の祭祀を継ぎました。経歴は『三国志』呉書 歩騭伝・三嗣主伝をもとにしています。
字は仲思。呉の丞相・歩騭の次男。父と兄の歩協を継いで西陵督となった。272年、孫皓に都へ呼び戻されると、讒言を恐れて西陵城ごと晋に降った。陸抗に城を囲まれ、晋の救援も退けられて西陵は落ち、謀を共にした数十人とともに三族まで処刑された。
THE WAY OF LIFE
歩闡の生き方
歩家は父の歩騭から兄の歩協、そして歩闡と、四十年あまり西陵を守ってきた。急に都へ戻れと命じられたことは、彼には落ち度を問われるか、誰かに讒言された証に見えた。
寝返った西陵を囲んだのは、かつて父と並んだ陸遜の子・陸抗だった。陸抗は急いで攻めず、城の周りに長い囲いを築いて、内には歩闡を閉じこめ、外からは晋の救援を防いだ。救援が退くと城は落ち、歩家は人質の甥一人を残して絶えた。
持ち味と、その裏側
一族の守りを固める執念と、窮地で大きく賭ける胆力。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜鳳凰元年(272年)
徐州臨淮郡淮陰県(現在の江蘇省淮安市)
- 父の歩騭(247年没)と兄の歩協のあと: 西陵督を継ぎ、昭武将軍・西亭侯となる。
- 甘露元年(265年)9月: 歩闡の上表により、孫皓が都を武昌に移す(翌年の暮れに建業へ戻る)。
- 鳳凰元年(272年)8月: 繞帳督として都へ呼び戻される。落ち度を問われるか、讒言されたのではと恐れる。
- 同年9月: 西陵城ごと晋に降り、兄の子の歩璣・歩璿を洛陽へ人質に送る。晋は都督西陵諸軍事・衛将軍・儀同三司・宜都公などを与える。
- 同年10月: 陸抗が左奕・吾彦・蔡貢らに西陵を囲ませ、城の周りに長い囲いを築く。晋は楊肇を西陵へ、羊祜を江陵へ、徐胤を建平へ向かわせる。
- 同年11〜12月: 陸抗が楊肇を破り、羊祜らも兵を退く。救援を失った西陵が落ちる。
- 最期: 歩闡と謀を共にした数十人は三族まで処刑され、従わされた数万人は許された。洛陽にいた歩璿が家の祭祀を継いだ。
主な出典
『三国志』呉書 歩騭伝(附 歩闡伝)・三嗣主伝・陸抗伝、『晋書』武帝紀・羊祜伝、『資治通鑑』。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・悪
規律1.5のため混沌。主命を疑い、守るべき城ごと敵国へ降った。
父祖から受け継いだ西陵の地位と一族を守ることを最優先にし、主君より家を選んだ。動機は自分寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。