CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
歩練師
寵愛されても驕らず、人を立てる優しさの人
歩練師は、徐州臨淮郡淮陰県の人で、孫権の寵姫です。戦乱を避けて江東へ移り、孫権に仕えました。建安17年(212年)ごろから、後宮で第一の寵愛を受けたと伝わります。嫉妬することなく、ほかの女性を孫権に勧めたため、長く大切にされました。孫魯班と孫魯育の2人の娘を産み、生前は皇后に立てられませんでしたが、人々は中宮と呼びました。赤烏元年(238年)に亡くなると、皇后を追贈され、先王の廟に合祀されます。経歴は『三国志』呉書 妃嬪伝をもとにしています。
孫権の寵姫。嫉妬せずに他の妃を勧めたことで知られ、没後に皇后を追贈された。
THE WAY OF LIFE
歩練師の生き方
自分が前に出るより、周りの人を立てることで場を丸くおさめる。歩練師は、穏やかな気配りと、揺るがない包容力を持つ人物像です。
寵愛を受けても、他人を妬まず、ほかの妃を推した。信条の高さと、動機の利他寄りに、その優しさを重ねています。
持ち味と、その裏側
周囲の気持ちを和らげる包容力と、人を立てる謙虚さ。一方で、自分の望みは後回しにしやすいため、本音を伝える機会を持つことも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜赤烏元年(238年)
徐州臨淮郡淮陰県の人。
- 徐州の人。戦乱を避けて江東に移り、孫権に仕えた。
- 建安17年(212年)ごろから、後宮で第一の寵愛を受けた。
- 嫉妬することなく、ほかの女性を孫権に勧めたため、長く大切にされたと伝わる。
- 孫魯班と孫魯育の2人の娘を産んだ。生前は皇后に立てられなかったが、人々は中宮と呼んだ。
- 赤烏元年(238年)に亡くなり、皇后を追贈されて、先王の廟に合祀された。
主な出典
『三国志』呉書 妃嬪伝
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
宮中の立場や礼を守って動く姿から、規律は中間よりやや秩序寄りとしています。
人を立て、周囲の和を大切にする姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。