CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
楊儀
実務に長け、人とぶつかり続けた諸葛亮の長史
楊儀は、字を威公といい、荊州襄陽郡の人です。関羽に仕えて功曹となり、のち劉備に招かれて尚書に進みました。諸葛亮のもとでは丞相府の長史となり、部隊の編成や軍糧の計算にあたって、北伐を支えます。同じく諸葛亮に重用された魏延とはたびたび衝突しました。建興12年(234年)に諸葛亮が五丈原で亡くなると、全軍を退かせ、従わなかった魏延を討ちます。しかし後継には蒋琬が選ばれ、不満を口にして流罪となり、自ら命を絶ちました。陳寿は、実務の手腕で出世した人物で、私情が多く偏狭だったと評します。経歴は『三国志』蜀書 楊儀伝・魏延伝をもとにしています。
諸葛亮の長史として、北伐の軍の編成と兵糧を支えた。諸葛亮の死後は魏延と争い、のちに不満を口にして流罪となり、自ら命を絶った。
THE WAY OF LIFE
楊儀の生き方
数字と段取りには強いが、人には厳しい。楊儀は、堅実な実務能力と、手順と序列への強いこだわりを併せ持つ人物像です。
功を認められないと、不満を隠せない。規律の高さと、動機の低さに、その偏狭さを重ねています。
持ち味と、その裏側
軍の編成や兵糧の計算を、滞りなくさばく実務の手腕。一方で、自分の功績への意識が強く、人との折り合いが悪いため、望む地位を得られず、不満を募らせます。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
?年〜建興13年(235年)
荊州襄陽郡の人。字は威公。
- 荊州で傅群の主簿を務めたのち、関羽に仕えて功曹となった。のち劉備に招かれ、尚書に進んだ。
- 諸葛亮のもとでは丞相府の参軍、のち長史となり、部隊の編成や軍糧の計算にあたって北伐を支えた。陳寿は、実務の手腕で出世した人物で、私情が多く偏狭だったと評する。
- 同じく諸葛亮に重用された魏延と、たびたび衝突した。諸葛亮はこれを惜しみながらも、二人を使い続けた。
- 建興12年(234年)、諸葛亮が五丈原で亡くなると、楊儀は全軍を退かせ、これに従わなかった魏延を討った。
- 諸葛亮の後継には蒋琬が選ばれ、楊儀は中軍師に回された。「魏に降るべきだった」と不満を口にして流罪となり、さらに恨みの言葉で捕らえられ、自ら命を絶った。
- 『三国志演義』では、諸葛亮が遺した策に従い、木像を使って司馬懿を欺く撤退を指揮したと描かれる。
主な出典
『三国志』蜀書 楊儀伝・魏延伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・悪
手順と序列を重んじ、決められた筋で動く姿から、規律は秩序寄りとしています。
自分の功績と地位への強い意識から、動機は個人寄りに置いています。善悪を断定するものではありません。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。