CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
李儒
董卓の腹心として、重い役目を担った参謀
李儒は、董卓に仕えた参謀です。董卓が少帝(劉弁)を廃して弘農王とすると、李儒は弘農国の郎中令に任じられたとされます。初平元年(190年)、董卓の命を受けて弘農王に毒を飲ませたと伝わり、弘農王は拒みましたが、李儒は力ずくで飲ませたといいます。董卓の死後、李傕らが朝廷を握ると、李儒を献帝の侍中にしようとしましたが、献帝は応じませんでした。その後の消息は、はっきりしません。『演義』では、董卓の軍師として廃立や遷都に知恵を貸し、のち王允に処刑されたと語られます。経歴は『後漢書』皇后紀・献帝紀、『三国志』魏書 董卓伝をもとにしています。
董卓に仕えた参謀。少帝に毒を飲ませた人物として知られ、董卓の死後の動きははっきりしない。
THE WAY OF LIFE
李儒の生き方
感情は表に出さず、静かに状況を読む。李儒は、冷静な構想力と、与えられた役目を淡々とこなす規律を併せ持つ人物像です。
主の命を実行に移す手際の良さがある。構想と規律の高さと、表現の低さに、その冷たい静けさを重ねています。
持ち味と、その裏側
主君の意図を読み、実行に移す参謀としての手際。一方で、役目の重さを一人で抱え込み、命令の是非を問い直す機会を失いやすくなります。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳
出身は不詳。『後漢書』では「博士」の李儒と記される。
- 董卓が少帝(劉弁)を廃して弘農王としたとき、李儒は弘農国の郎中令に任じられたとされる。
- 初平元年(190年)、董卓の命を受けて弘農王に毒を飲ませたと伝わる。弘農王は拒んだが、李儒は力ずくで飲ませたという。
- 董卓の死後、李傕らが朝廷を握ると、李儒を献帝の侍中にしようとしたが、献帝は応じなかったと伝わる。
- その後の消息は、はっきりしない。
- 『三国志演義』では、董卓の軍師として廃立や遷都に知恵を貸し、少帝に毒酒を飲ませる役を担う。董卓が呂布に討たれたあと、李儒も王允の手で処刑されたと語られる。
主な出典
『後漢書』皇后紀・献帝紀、『三国志』魏書 董卓伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・悪
決められた主従の筋と命令に従って動く姿から、規律は秩序寄りとしています。
主君の意向と、自分の立場を優先して動く姿から、動機は個人寄りに置いています。善悪を断定するものではありません。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。