CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
朶思大王
四つの毒泉で蜀軍を阻もうとした、禿龍洞の洞主
朶思大王は、『三国志演義』に登場する、南蛮の禿龍洞の洞主です。史書には登場しません。孟獲が四度目に捕らえられて放されたあと、孟獲の弟・孟優に頼られて迎え入れ、啞泉・滅泉・黒泉・柔泉の四つの毒泉で蜀軍を阻もうとしました。しかし銀冶洞の楊鋒が援軍を装って到着し、宴席で孟獲・孟優とともに朶思大王を捕らえます。のち三江城の守将となり、鏃に毒を塗った矢を弩で一度に十本放って守りましたが、諸葛亮が土を詰めた袋で城の下に坂道を作って攻め上がり、乱戦のなかで戦死しました。南征の物語に、毒泉という難所を添えるために描かれた人物です。
『三国志演義』に登場する、南蛮の禿龍洞の洞主。孟獲らを迎え入れ、四つの毒泉で蜀軍を阻もうとしたが、楊鋒に捕らえられた。のち三江城の守将となり、諸葛亮に城を落とされて戦死した。
THE WAY OF LIFE
朶思大王の生き方
刀を交える前に、地形で勝負をつけようとする。朶思大王は、道を塞ぎ、蜀軍を毒泉へ誘い込む策を立てる、慎重で計算高い人物像です。
友人の窮地に洞を挙げて手を貸す一方、勝てると見ると、連日の宴で気を緩める。ここに、人情の厚さと、仕掛けに頼って油断しやすい面を重ねています。
持ち味と、その裏側
地形と仕掛けを使って、有利な戦いに持ち込む設計力。一方で、策が決まったと思うと油断が出やすく、相手に仕掛けを破られたときの次の手が薄くなります。策が決まったあとにも、破られる前提でもう一度確認を入れると、足元をすくわれにくくなります。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(物語の人物)
南蛮の禿龍洞の洞主として語られる、『三国志演義』の登場人物。史書には登場しない。
- 『三国志演義』では、孟獲が四度目に捕らえられて放されたあと、孟獲の弟・孟優の勧めで頼られる、禿龍洞の洞主として登場する。孟優とは親しい間柄とされる。
- 朶思大王は、東北の大路を石でふさぎ、蜀軍を西北の険しい道へ誘い込む策を示した。その道には、飲むと話せなくなる啞泉、熱湯のような滅泉、かかると手足が黒くなる黒泉、氷のように冷たく力が抜ける柔泉の、四つの毒泉があり、「百万の軍でも帰れない。刀や兵はいらない」と語った。
- 朶思大王は、孟獲兄弟と連日宴を開き、勝利を確信していた。しかし、諸葛亮は孟獲の兄・孟節の助けを得て、毒泉を避けて水を確保した。これを知った朶思は、「これは神の軍だ」と驚いた。
- 決戦を迫られた朶思は、「大王が敗れれば、私の妻子もおしまいだ」と、総力での突撃を勧めた。
- ところが、銀冶洞の楊鋒が援軍を装って到着し、宴席で孟獲・孟優とともに朶思大王を捕らえ、諸葛亮のもとへ送った(孟獲にとって五度目の捕縛)。諸葛亮は三人に酒食を与えて放した。朶思は恐れ入り、諸葛亮の顔を正面から見られなかったという。
- その後、孟獲に三江城の守りを任された。城は三方を川に囲まれ、陸路は一つだけだった。洞の兵は、鏃に毒を塗った矢を、弩で一度に十本放ち、攻めた魏延と趙雲の軍も、この毒矢に阻まれた。
- 諸葛亮は、いったん兵を退いて敵を油断させ、土を詰めた袋を運ばせて城の下に積み、坂道を作って一斉に攻め上がった。三江城は落ち、朶思大王は乱戦のなかで戦死した。誰に討たれたかは書かれていない。
- 史書には登場せず、『演義』で南征の物語に、毒泉という難所を添えるために描かれた人物。
主な出典
『三国志演義』第89回・第90回(羅貫中)
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・中立
道を塞ぎ、毒泉へ誘うという、段取りと仕掛けで戦う姿から、規律は秩序寄りとしています。
友人の孟獲を助けつつ、洞に残る妻子を守ろうとする姿から、動機は善にも悪にも寄せず、中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。