三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

朱治

孫堅から孫権まで、四代の呉の主に仕えた古参

朱治は、字を君理といい、丹陽郡故鄣県の人です。県の吏から身を起こし、孝行と謙虚さで知られ、孫堅に従って長沙・零陵・桂陽の反乱の討伐や董卓との戦いに加わりました。孫堅が戦死すると孫策に仕え、袁術のもとでは先がないと見て、呉へ戻って自立するよう勧めたと伝わります。孫策の没後も呉に留まって孫権に仕え、呉郡太守を長く務めました。黄武元年(222年)に毗陵侯に封じられ、孫権は王に準じる賜り物を与えましたが、朱治は受けるのをためらったといいます。跡継ぎがなく、甥の朱然を養子にしました。黄武3年(224年)、六十八歳で亡くなっています。経歴は『三国志』呉書 朱治伝をもとにしています。

呉の宿将。丹陽郡故鄣の人。孫堅に従って戦い、孫策に呉へ戻って自立するよう勧めた。孫権の代には呉郡太守を長く務め、毗陵侯に封じられた。朱然の養父。

THE WAY OF LIFE

朱治の生き方

主君が代わっても、孫家から離れなかった。朱治は、長く仕えることで信頼を積んだ人物像です。

派手に先頭へ出る場面は少なく、支え役が中心だった。規律の高さと、挑戦の低さに、その堅実さを重ねています。

持ち味と、その裏側

孫堅・孫策・孫権の三代を通じて仕え続けた忠誠と、呉郡という本拠を長く治めた堅実さ。一方で、自ら新しい道を切り開く場面は記録に乏しく、守り役としての色合いが強い人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

永寿2年(156年)〜黄武3年(224年)

丹陽郡故鄣県の人。字は君理。養子に朱然(甥)。

  1. 丹陽郡故鄣県の人。県の吏から身を起こし、孝行と謙虚さで知られたと伝わる。のち州郡の官を経て、孫堅に従った。
  2. 中平5年(188年)ごろ、孫堅のもとで司馬となり、長沙・零陵・桂陽の反乱の討伐に加わった。董卓との戦いでも功があり、都尉・校尉に進んだ。徐州では、陶謙を助けて黄巾と戦った。
  3. 初平2年(191年)に孫堅が戦死したあと、朱治は孫策に仕えた。袁術のもとでは先がないと見て、孫策に、呉へ戻って自立するよう勧めたと伝わる。
  4. その後は呉郡太守を務め、孫策の没後(200年)も呉に留まって孫権に仕え、周瑜とともに支えた。建安7年(202年)には、呉郡太守・扶義将軍となり、いくつかの県を食邑として与えられて、半ば隠居の形になった。
  5. 建安13年(208年)には、孫賁が曹操に子を人質に出そうとするのを、説得して思いとどまらせた。
  6. 黄武元年(222年)、毗陵侯に封じられた。孫権は金印などの王に準じる賜り物を与え、食邑を四県に広げたが、朱治は受けるのをためらったという。黄武2年(223年)に安国将軍となった。
  7. 跡継ぎのなかった朱治は、甥の朱然を養子に迎えた。
  8. 孫権は朱治を深く敬い、呉王になってからは、都まで迎えて宴を開いたと伝わる。黄武3年(224年)、六十八歳で亡くなった。

主な出典
『三国志』呉書 朱治伝(朱治朱然呂範朱桓伝)

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

孫家への仕えかたが一貫し、礼を重んじた姿から、規律は秩序寄りとしています。

一貫して孫家に仕え続けた記録から、動機は他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。