三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

曹髦

学を好み、司馬昭に兵を挙げた若き皇帝

曹髦は、魏の第4代皇帝です。曹丕の孫で、14歳で即位し、司馬昭が実権を握るなかで学問を好み、20歳で兵を挙げて命を落としました。『三国志』本文は最期を「卒」の一語で済ませ、有名な場面は裴松之注が引く『漢晋春秋』などに拠ります。ここでの人物像は記録からの読みで、本人の内心が書かれているわけではありません。

曹丕の孫、東海定王曹霖の子。曹芳が廃されたのち14歳で即位し、甘露5年(260年)、司馬昭を討とうとして亡くなった。

THE WAY OF LIFE

曹髦の生き方

太学で博士に『易』『尚書』『礼記』を問うた。本文に問答が載る。学問と問答に長けた像は、本文の記述に基づくもので、表現の高さの根拠です。

司馬氏の権限が積み上がる治世のなかで、最後は少数で兵を挙げた。挑戦の高さは行動に基づく読みで、勝算の見えにくい動きだったことが、構想と統率の低さにつながっています。

持ち味と、その裏側

若くして学問を好み、博士にも問い返す聡明さ。劣勢でも自ら動いた決意。一方で陳寿は「軽躁忿肆(軽はずみで怒りに任せた)」と評し、自ら大禍を招いたとも書きます。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

正始3年(242年)〜甘露5年(260年)

曹丕の孫、東海定王曹霖の子。字は彦士。

  1. 字は彦士。曹丕の孫で、東海定王曹霖の子(『三国志』三少帝紀・武文世王公伝)。正始5年(244年)、高貴郷公に封じられた。母の名は、確認した原文には見えない。
  2. 生年は本文に書かれていない。裴松之注に引く「帝『集』」に正始3年(242年)9月の生まれとあり、これに従う。
  3. 正元元年(254年)、司馬師が曹芳を廃したのち、皇太后の令が「高貴郷公髦は大成の量(大成する器)あり、明帝の嗣とせよ」と定めて、14歳で即位した。洛陽に着き、群臣の拝礼に答拝して「吾は人臣なり」と言い、旧来の乗輿での入城を勧められても「皇太后に召された身で、どうすべきか分からない」と歩いて入った(本文)。
  4. 本文は「少くして学を好み、夙成す」と記す。裴松之注に引く『魏氏春秋』は「神明爽儁、徳音宣朗」とし、鍾会が「才は陳思(曹植)に同じく、武は太祖に類す」と評したと伝える。これは本文ではなく注の引用である。
  5. 本文は太学での問答を詳しく載せる。『易』は淳于俊に、『尚書』は庾峻に、『礼記』は馬照に問うている。
  6. 裴松之注に引く『漢晋春秋』は、黄龍が井戸にたびたび現れたとき、「龍は君の徳であるのに、天にも田にもおらず、しばしば井に屈している。吉兆ではない」と言い、「潜龍」の詩を作って自らを戒めたと伝える。
  7. 在位中、司馬氏の権限は制度として積み上がった。即位の年に司馬師へ黄鉞・入朝不趨・奏事不名・剣履上殿が与えられ、正元2年に毌丘倹・文欽の乱を司馬師が討つと、師は許昌で死に、司馬昭が大将軍・録尚書事となった。甘露3年には諸葛誕の乱を鎮め、司馬昭は相国・晋公・九錫を加えられた(本文)。
  8. 毌丘倹の乱について、『世語』は「大将軍が天子を奉じて征した」と書くが、裴松之は「諸書を調べても、そのような事はない」と退けている。
  9. 甘露5年(260年)5月、本文は「己丑、高貴郷公卒す、年二十」と書くだけである。
  10. 裴松之注に引く『漢晋春秋』は、曹髦が王沈・王経・王業を呼び、「司馬昭の心は、路人(道行く人)も知っている。座して廃辱を受けるわけにはいかない。今日、卿らと自ら出て討つ」と言ったと伝える。王経が諫めると、「行くことは決めた。たとえ死んでも、何を恐れよう」と答えた。沈・業が司馬昭に知らせ、賈充らが迎え撃ち、成済が刺して、刃は背に出たという。
  11. これらの場面は本文にはなく、注に引かれる書の間でも細部が異なる。『世語』は王沈・王業が走って告げ、王経は正直で出なかったとし、『晋諸公賛』も王経は従わなかったとする。『魏末伝』は賈充が成済に「殺せ」と言ったと、より直接に書く。誰がどこまで命じたかは、書ごとに差がある。
  12. 王経は、事件のとき尚書だった。注に引く『漢晋春秋』では、曹髦に呼ばれた三人のうち王経が、魯の昭公が季氏を除けず国を去った例を挙げ、司馬氏の権力は久しく固まり、宮中の兵も少ないとして、「禍は測れない、十分に慎重に」と諫めた。曹髦が決意を変えないと、王沈・王業は司馬昭に知らせた。『世語』は、王経は正直で密告に出向かなかったとし、『晋諸公賛』は、王沈らに誘われても「あなた方だけで行きなさい」と従わなかったとする。三書とも、王経が挙兵に加わった、あるいは密告した、とは記していない。
  13. 本文に載る皇太后の令は、王経を「凶逆無状」とし、王経とその家族を廷尉に送るよう命じた。王経は曹髦の死に連座して処刑された(巻9・本文)。注に引く『世語』は、王経が東市で処刑され、かつて登用した向雄が泣き、市の人々が感動したと伝える。同じく注に引く『漢晋春秋』は、捕えられた王経に、母が表情を変えず笑って「人は誰でも死ぬもの」と言い、出世を止めようとしたのは息子が死に場所を得られないことを恐れたからで、ここで共に終わることに悔いはない、と語ったとする。令は事件後の公式の命令で、王経の反逆を独立に立証するものではない。
  14. のち、晋の武帝は泰始元年の詔で、王経について、刑には陥ったが、志を守ったことは称賛に値すると述べ、孫に郎中の官を与えたという(注に収める詔)。
  15. 曹髦を刺した成済について、『漢晋春秋』は太子舎人とし、『魏氏春秋』は騎督の成倅の弟とする。司馬昭の上奏(本文)は、成済が命に反して皇帝を傷つけたとし、大逆の法に当たり、父母妻子兄弟まで斬ると述べ、皇太后はこれを認めた。注に引く『魏氏春秋』は、成済兄弟が罪に服さず、衣を脱いで屋根に登り、悪口を言ったので、下から射殺されたと伝える。『晋書』文帝紀は、皇太后が認めて成済の三族を滅ぼしたと記す。司馬昭の上奏と、賈充の指示を伝える注とでは、責任の説明が異なる。
  16. 注に引く『晋紀』『魏氏春秋』と『晋書』は、陳泰が司馬昭に、賈充を処刑して天下に謝すべきだと答えたと伝える。『魏氏春秋』には、陳泰が血を吐いて死んだともあるが、裴松之は、『晋紀』が陳泰を太常とするのは陳寿本文の官歴と合わないと指摘し、『魏氏春秋』の言葉にも著者の手が入っているのではないかと疑っている。会話の細部は、確定した事実として扱えない。
  17. 本文に載る皇太后の令は、曹髦を「悖逆不道」とし、前鋒に害されたと説明し、庶人の礼で葬るよう命じた。これは事件後の公式の説明で、人物の評価としてそのまま受け取れない。
  18. その後、司馬孚・司馬昭らの上申で、王の礼で葬ることに改められた(本文)。注に引く『漢晋春秋』は、葬列は数台の車で旗もなく、人々が「先日殺された天子だ」と泣いたと伝えるが、裴松之は「王の礼でと言いながら、そのような葬りだったのか。悪意ある誇張だろう」と疑っている。
  19. 陳寿は評に「才慧夙成し、問を好み辞を尚ぶ。蓋し亦た文帝(曹丕)の風流なり。然れども軽躁忿肆にして、自ら大禍を蹈めり」と記す。学問の才と、軽はずみで怒りに任せた行いとが、同じ評のなかに並んでいる。

主な出典
『三国志』魏書 三少帝紀(本文、および裴松之注に引く『漢晋春秋』『魏氏春秋』『世語』『晋紀』『晋諸公賛』『魏末伝』『帝集』)、魏書 武文世王公伝、巻9(王経)、巻22(陳泰)、『晋書』文帝紀

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・善

皇帝としての名分と、実際に動いた行動とのあいだにあり、規律は中間としています。

皇太后令に従って即位しながら、司馬昭の専権のもとで兵を挙げた行動は、皇帝としての立場を取り戻そうとする方向に揃っています。ただし本文は理由を書かず、動機は注が引く書の記述と行動からの読みです。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

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