CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
曹騰
四帝に仕え、人材を推薦した曹操の養祖父
曹騰は、後漢の宦官で、曹操の養祖父にあたります。安帝の時代から宮中に仕え、桓帝の擁立にも関わり、費亭侯に封じられました。『後漢書』は、過失がなく、人材を推薦し、自分を弾劾した種暠を恨まなかったと伝えます。ただし、これらは後世の史書の評価で、ここでの人物像は、その記録からの読みです。
後漢の宦官。安帝のころから宮中に仕え、順帝のもとで中常侍となり、桓帝の擁立に貢献して費亭侯に封じられた。養子の曹嵩が曹操の父にあたる。
THE WAY OF LIFE
曹騰の生き方
蜀郡太守の贈賄の書状が見つかり、種暠が曹騰も弾劾した。曹騰は種暠を恨まず、有能な官吏だと称え、種暠は後に、司徒になれたのは曹常侍のおかげだと語った。信条を高めに置いたのは、この記録に基づく読みです。
三十年余り宮中に仕え、過失がなかったと司馬彪『続漢書』は記す。規律を高めに置いたのは、この好意的な評価に基づく読みで、後世の評価として扱っています。
持ち味と、その裏側
宮中で長く務め、人を傷つけず、虞放・辺韶・張温・張奐らの優れた人物を推薦した。高位に進んだ者たちに功を誇らなかったと伝わる。一方で、これらは史書の好意的な評価であり、曹騰自身の言葉は残っていません。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(桓帝の即位後も活動)
沛国譙の人。字は季興。後漢の宦官で、曹操の養祖父。
- 沛国譙の人で、字は季興。安帝の時代に黄門従官に任じられた(『後漢書』)。裴松之注に引く司馬彪『続漢書』は、少年のうちに黄門従官となり、宮中に三十年余り、四帝に仕えて過失がなかったと記す。四帝の内訳は、書かれていない。
- 順帝がまだ皇太子だったころ、鄧太后が、曹騰を年少で慎み深く誠実だとして、皇太子の学習に侍させ、特に親しまれた。順帝が即位すると、小黄門となり、のち中常侍に進んだ(『後漢書』)。
- 桓帝の即位に際し、長楽太僕の州輔らとともに擁立に貢献して費亭侯に封じられ、大長秋に進み、特進の位を加えられた(『後漢書』)。『三国志』武帝紀も、桓帝の世に中常侍・大長秋となり、費亭侯に封じられたと記す(本文)。
- 曹騰が推薦した人として、『後漢書』は、虞放、辺韶、延固、張温、張奐、堂谿典らの名を挙げ、いずれも国内の名士だったとする。『続漢書』は、彼らが高官になっても曹騰は功を誇らなかったと記す。ただし、推薦された人々の業績は、曹騰の功績とはいえない。
- 蜀郡太守が曹騰に贈賄しようとして出した書状を、益州刺史の種暠が見つけ、太守だけでなく曹騰も弾劾して廷尉に送るよう求めた。皇帝は「書状は外から来たもので、曹騰の過ちではない」として退けた。曹騰は気にせず、常に種暠を有能な官吏と称え、当時の人々がこれを称賛した。のち司徒になった種暠は、賓客に「今、自分が公になれたのは、曹常侍のおかげだ」と語った(『後漢書』)。
- この話で、種暠が書状を見つけた場所は、『続漢書』の引用では函谷関、『後漢書』では斜谷関と、書によって異なる。曹騰が弾劾された事実はあるが、賄賂を受け取った罪が確定したわけではない。種暠の任命を曹騰が決めたとも、書かれていない。
- 『後漢書』には、曹騰が別の宦官たちから不当に中傷された、という記事もある。これも、曹騰が処罰された事件ではない。
- 養子の曹嵩が爵位を継ぎ、太尉に至った。本文は「その生まれの由来は、詳しく確かめられない」と記す(武帝紀)。裴松之注は、呉人の『曹瞞伝』と郭頒『世語』が、曹嵩を夏侯氏の子で夏侯惇の叔父とすると伝える。陳寿本文が血縁を確定したものではなく、曹騰は、曹操の養祖父にあたる。
- 『後漢書』は、曹嵩が霊帝の時代に宦官に賄賂を贈り、西園にも多額の金を納めて太尉になったと記す。これは曹嵩についての記録で、曹騰が同じことをした証拠ではない。同巻にある、単超・侯覧・張譲らの権力の濫用も、曹騰のものではない。
- 没年は、確認した『三国志』武帝紀と『後漢書』には書かれていない。159年とする現代の資料もあるが、原典で確かめられず、確定できない。曹操誕生時に生存していたかも、断定できない。
- 太和3年(229年)、明帝の曹叡は、曹騰を高皇帝、夫人の呉氏を高皇后に追尊した(明帝紀・本文)。死後の追尊で、曹騰が生前に皇帝だったわけではない。
- 『後漢書』の末尾の「論」は、宦官が国を傾けたと厳しく批判する一方で、忠実で公正に邪を正そうとした宦官もいたと認める。ただし、これは宦者列伝全体の総評で、曹騰個人への評価ではない。陳寿の評も、曹操の才を論じ、曹騰個人についての評は見つからなかった。
- 今回確認した原典には、曹騰の悪い行いとして立証された記録は見つからなかった。ただし、悪い記録がないことは、悪いことをしなかったという意味ではない。同時代の宦官たちの罪を曹騰に重ねてもいない。
主な出典
『三国志』魏書 武帝紀・明帝紀(裴松之注に引く司馬彪『続漢書』『曹瞞伝』『世語』)、『後漢書』宦者列伝(曹騰伝)
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
宮中の務めを長く、過失なく果たしたという記録から、規律は秩序寄りとしています。
人材を推薦したこと、自分を弾劾した種暠を恨まず、能力を認めたことなど、公の面に沿った行動の記録が複数あるため、動機は公寄りに置いています。ただし、これらを書いたのは後世の史書で、本人の内心が書かれているわけではありません。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。