三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

曹純

曹操の精鋭「虎豹騎」を率い、劉備の娘を捕らえた人

曹純は、字を子和といい、曹仁の同母の弟で、曹操の同族です。家は富み、学問を好んで学者を重んじ、文人が多く集まったと伝わります。二十歳ごろ、曹操が譙県で挙兵した際に従い、建安10年(205年)の南皮の戦いでは、精鋭の騎兵部隊「虎豹騎」を率いて、曹操が退こうとしたときも攻め続けるよう進言しました。建安12年(207年)の北征では烏桓の単于・蹋頓を捕らえたとされ、建安13年(208年)には長坂で劉備を追い、劉備の二人の娘と輜重を捕らえます。建安15年(210年)に亡くなると、曹操は、後任の虎豹騎の指揮官を置かず、「純に並ぶ者がいようか。自分で率いるほかない」という趣旨のことを述べたと伝わります。経歴は『三国志』魏書 曹純伝をもとにしています。

曹操の一族で、曹仁の同母の弟。若くして曹操に従い、精鋭の騎兵部隊「虎豹騎」を率いた。南皮で袁譚を討ち、長坂で劉備の二人の娘を捕らえた。建安15年(210年)に亡くなった。

THE WAY OF LIFE

曹純の生き方

騎兵の指揮を預けられ、曹操が後任に自分以外を置かなかったと伝わる。曹純は、周囲の信頼を集める指揮官の人物像です。

戦場での働きは記録に残るが、自分の言葉や思想はほとんど伝わらない。表現を低めに置いています。

持ち味と、その裏側

大事な戦場で騎兵を使いこなす統率と、一族として曹操の信頼を集めた規律の高さ。一方で、自分の考えや主張を示す記録は乏しく、人柄の細部は伝わらない人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年未詳(170年頃)〜建安15年(210年)

沛国譙県の人。字は子和。曹仁の同母の弟で、曹操の同族。子に曹演。

  1. 父を早くに亡くし、兄とともに暮らした。家は富み、使用人が大勢いたが、厳しく公平に取り仕切ったという。学問を好み、学者を重んじて、文人が多く集まった。
  2. 十代の終わりに黄門侍郎となった。本文は十七歳、裴注が引く『英雄記』は十八歳と書く。
  3. 二十歳ごろ、曹操が譙県で兵を集めて挙兵した際、曹純は曹操に従い、各地を転戦した。のち議郎となり、司空の軍事に参じた。
  4. 建安10年(205年)初め、南皮の戦いで、曹操が袁譚を攻めた。曹純は、精鋭の騎兵部隊「虎豹騎」を率いた。損害が大きく、曹操が退こうとしたとき、曹純は攻め続けるよう進言した。曹純伝は、曹純の騎兵が袁譚の首を斬った、と記す。
  5. 虎豹騎は、百人以上を率いた経験のある者だけが選ばれる、曹操直属の精鋭だった。曹純は、その部隊の将兵の信頼を得ていたため、指揮官に選ばれたと伝わる。
  6. 建安12年(207年)、曹操の北征で、曹純の騎兵が烏桓の単于・蹋頓を捕らえた、と曹純伝は記す。蹋頓を斬ったのが誰かは、伝によって書き方が分かれる。曹純は、この功で高陵亭侯に封じられ、三百戸を与えられた。
  7. 建安13年(208年)、荊州の征討に従った。曹純は長坂で劉備を追い、劉備の二人の娘と輜重を捕らえ、散り散りになった兵を収めた。そのあと譙に戻った。赤壁の戦いに参加したかどうかは、はっきりしない。
  8. 建安15年(210年)に亡くなった。曹操は、後任の虎豹騎の指揮官を置かず、「純に並ぶ者がいようか。自分で率いるほかない」という趣旨のことを述べたと伝わる。
  9. 曹丕が帝位に就いたあと、曹純は威侯と諡された。子の曹演は、魏の領軍将軍になった。

主な出典
『三国志』魏書 諸夏侯曹伝(曹純伝)、裴松之注に引く『英雄記』『魏書』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

曹操の一族として軍紀を守り、部隊の信頼を得た記録から、規律は秩序寄りとしています。

曹操の側で騎兵を率い続けた記録から、動機は他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。