CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
曹真
財を兵に分け与えた、恰幅のよい大将軍
曹真は、字を子丹といい、曹操の族子とされます。父が亡くなって曹操に引き取られ、曹丕と一緒に育ちました。曹操に従って漢中の戦線で活躍し、曹丕の時代には雍州・涼州の統治を担います。226年に大将軍となり、諸葛亮の北伐に備えて、陳倉に郝昭を送って守りを固めさせました。身分が高くなっても将兵と苦労を共にし、恩賞が足りないときは自分の財から分け与えたため、信望が厚かったといいます。230年に蜀へ攻め入る子午の役を試みましたが、長雨に阻まれて撤退し、231年3月に亡くなりました。経歴は『三国志』魏書 曹真伝と『魏略』をもとにしています。
曹操に養われて育った魏の大将軍。蜀の北伐を退け、将兵と苦労を共にして信望を集めた。
THE WAY OF LIFE
曹真の生き方
どっしりと構えて、人を包み込む。曹真は、堅実な統率力と、部下を思いやる誠実さを併せ持つ人物像です。
身分が高くなっても、兵と苦労を共にした。統率と動機の高さに、その人望の厚さを重ねています。
持ち味と、その裏側
全体を見渡して守りを固める大局観と、部下の信頼を集める厚い人柄。一方で、慎重な守りに寄るぶん大胆な好機を逃し、遠征が長引くと成果が出にくくなります。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
?年〜太和5年(231年)
曹操の族子とされる。字は子丹。父は曹邵(異説に、秦伯南の子ともいう)。
- 父が曹操の挙兵のころに亡くなり、曹操に引き取られて、曹丕と一緒に育った。
- 曹操に従って漢中の戦線で活躍した。曹丕の時代には、雍州・涼州の統治を担った。
- 肥満していたため、呉質にからかわれて怒ったという逸話が残る(『魏略』)。一方、身分が高くなっても将兵と苦労を共にし、恩賞が足りないときは自分の財から分け与えたため、信望が厚かった。
- 226年に大将軍となり、諸葛亮の北伐に備えた。陳倉に郝昭を送って守りを固めさせ、蜀の攻勢を退けた。
- 230年に大司馬となり、蜀へ大規模に攻め入る子午の役を試みたが、長雨に阻まれて撤退した。
- 撤退のあと重い病にかかり、231年3月に亡くなった。子の曹爽が跡を継いだ。
- 『三国志演義』では、司馬懿が蜀を退ける筋書きの中で、曹真は連敗し、諸葛亮の書簡に憤って死ぬ人物として描かれる。
主な出典
『三国志』魏書 曹真伝・同注引『魏略』、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
魏の臣としての筋と、軍の秩序を重んじて動く姿から、規律は秩序寄りとしています。
部下の暮らしを気づかい、自分の財を分け与える姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。